瞑想入門・意識の構造 | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

ビリー・マイヤーの『瞑想入門』を購入して読み始めました。


予想したとおり、スタートから充実した内容で、何回も反芻する必要を感じ、


なかなか先に進むことができません。


その中でも特に、心・意識についての記述で収穫がありました。



2月26日の記事で書いた佐藤康行さんは、心を三層構造としてとらえました。


すなわち、顕在意識と潜在意識、そしてその奥にある真我です。


三つの心があり、三つの層に分かれているとしています。



それに対してビリー・マイヤーは、また別の見方をしています。


彼も三つに分けていますが、真ん中の部分を別のはたらきと捉えています。


佐藤さんの真我に当たるものを、彼は「霊」と名付けています。


そして顕在意識に当たる部分を「人格」、または物質的意識と言っています。


名前は違いますが、ここまではほとんど同じことを言っています。


彼は真ん中の部分を、高度の自己、または「心」と呼び、


これは「霊」と密接に結びつきながら、


「霊」と「人格」の間を仲介するはたらきをしている、としています。


「霊」と「人格」という実体のある存在の間にあって、


それとしての力は持っていない「心」、


「人格」を思うように動かすことのできない、それ自体は無力な「心」、


仲介することしかできない「心」



小さい頃から心とは何か、行動する自分に対して、


自分を批判する心とは何なのか、よくわからないままできましたが、


疑問が氷解した感じがします。


仲介するだけで、力を持っていない心、


しかし、それは「霊」と密接に結びついているのです。


「本当の自分」と結びつき、「本当の自分」の目で、


現実に行動する自分、「人格」を見て、批判するのです。


「本当の自分」から離れてしまった「人格」を、


本来の道に戻らせようとする意識なのです。




瞑想入門 ビリー・マイヤー