のびのびって? | 雑記帳(旧・ジェルボー、時々ゲリの東京日記)

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おされブログはもう書けなくなりました(笑)
人は変化するものです。
日記のつもりで記録します。

最近思うこと。


子どもには恥を持たずに育ってほしい。

恥にはふたつの恥があると思う。

ひとつは倫理的・道徳的なブレーキになる恥で、これは持っていた方が良い(例:「恥を知りなさい」)。

もうひとつは自分に対する恥、引け目。これはない方が良い。


小学生の頃、私はなぜか勉強ができた。成長も早くてそこそこ運動もできたので、いわゆる優等生だったと思う。

でもそのおかげで高学年になるまで失敗を知らなかった。

運動音痴の資質がだんだんに出てきて、体育が怖くなった。

できないことをごまかすことばかり考えるようになった。

そのうち、色々な苦手が出てきた。それもごまかすことを覚えた。そこそこ器用だったからごまかすことができた。


幸い親はおおらかな放任主義だったから、家ではのびのびしていられた。おかげで内弁慶になった。

私を救ってくれたのは、中学受験をしたことと女子校に進んだこと。

塾にはたくさんの頭が良い子がいて、自分の能力をごまかすには限界があった。

努力することを覚えた。同時に努力して失敗することは恥じゃないと分かった。

合格して私立の女子校に進むと、そこは進学校で「自分は自分、他人は他人」ということがものすごくはっきりしていた。なにをしても恥ずかしがる必要はないと自然に体得した。


そうして今の私があるのだが、やはり小さい頃身につけた性格はどこかに残っているもので、未だに他人の目を気にしたり、失敗をおそれる部分が私の中に少しある。

それは苦しい。無駄だ。チャレンジを妨げ、不要な消耗をさせる。

失敗が人を成長させることはあるが、失敗を恥じることは萎縮させるだけだと思う。

こちらの恥はいらない。


ここでひとつ腑に落ちたことがある。

よく「子どもにはのびのび育ってほしい」と親は言うが、それは「自分を恥じることなく生きてほしい」ということなのではないか。

自分で自分の可能性を妨げることほど哀しいことはない。

子どもには、のびのびと育ってほしい。


追記:日本のサッカーやスポーツ全般について、「チャレンジが足りない」「プレッシャーに弱い」という言葉をよく聞きますが、これは日本人特有の「恥の文化」と関わりがあるとの見解がよく聞かれます。「文化」ですべてを語るのは危険ですが、私もそれはあると思います。