最近思うこと。
子どもには恥を持たずに育ってほしい。
恥にはふたつの恥があると思う。
ひとつは倫理的・道徳的なブレーキになる恥で、これは持っていた方が良い(例:「恥を知りなさい」)。
もうひとつは自分に対する恥、引け目。これはない方が良い。
小学生の頃、私はなぜか勉強ができた。成長も早くてそこそこ運動もできたので、いわゆる優等生だったと思う。
でもそのおかげで高学年になるまで失敗を知らなかった。
運動音痴の資質がだんだんに出てきて、体育が怖くなった。
できないことをごまかすことばかり考えるようになった。
そのうち、色々な苦手が出てきた。それもごまかすことを覚えた。そこそこ器用だったからごまかすことができた。
幸い親はおおらかな放任主義だったから、家ではのびのびしていられた。おかげで内弁慶になった。
私を救ってくれたのは、中学受験をしたことと女子校に進んだこと。
塾にはたくさんの頭が良い子がいて、自分の能力をごまかすには限界があった。
努力することを覚えた。同時に努力して失敗することは恥じゃないと分かった。
合格して私立の女子校に進むと、そこは進学校で「自分は自分、他人は他人」ということがものすごくはっきりしていた。なにをしても恥ずかしがる必要はないと自然に体得した。
そうして今の私があるのだが、やはり小さい頃身につけた性格はどこかに残っているもので、未だに他人の目を気にしたり、失敗をおそれる部分が私の中に少しある。
それは苦しい。無駄だ。チャレンジを妨げ、不要な消耗をさせる。
失敗が人を成長させることはあるが、失敗を恥じることは萎縮させるだけだと思う。
こちらの恥はいらない。
ここでひとつ腑に落ちたことがある。
よく「子どもにはのびのび育ってほしい」と親は言うが、それは「自分を恥じることなく生きてほしい」ということなのではないか。
自分で自分の可能性を妨げることほど哀しいことはない。
子どもには、のびのびと育ってほしい。
追記:日本のサッカーやスポーツ全般について、「チャレンジが足りない」「プレッシャーに弱い」という言葉をよく聞きますが、これは日本人特有の「恥の文化」と関わりがあるとの見解がよく聞かれます。「文化」ですべてを語るのは危険ですが、私もそれはあると思います。