前回は、家庭内で子供たちが演じる主な役割について、お話をしましたね。
「私はヒーロー役で、でも力尽きてスケープゴート役になっちゃいました」 とか 「私は何を演じていたかは分らないけど、弟は確かにクラン役でした」 といった沢山のメールを頂きました。
また、「今まさに私の子供は、殉教者役をしてます」というものもありました。
(メールを下さった皆さま、どうもありがとう(*^^*))
最初にお伝えするのを、忘れてしまっていたのですが、親の立場の方は、こういった家族関係のお話しを読む時には、まず、自分が子供の頃のことを思い出して、子供の立場で読んでください。
親の立場で読んでしまうと、自分を責めてしまうことがあります。
本当はね、責める必要なんてないのです。だって、100%の子育てなんて、どこにも存在しませんし、親には親の、そのようにしか出来なかった理由があるのですから。
まずは、子供の立場で読んでみる。
そして、思い当たることがあったら、
私は、どんなことがあって、その役割を演じることを決めたのだろう?
私は、誰からこの役割を学んだのだろう?
私は、この役割を演じることで、成長したその後、何を避けていたのだろう?
と、問いかけてみてください。
何かが、見えてくるかもしれません。
さて、さて。ここからが、本題です。
子供たちは、家族のバランスをとるために必要な何かを感じ取って、演じてしまい、成長後も同じ役割を演じ続け、その結果、生き辛さを感じたり、自分が何者なのか分らなくなってしまうことがある・・・のだとしたら、
私たち親は、一体どうしたら良いのでしょうか?
世間は、子供に対する躾を求めます。
育児書は、誉めて育てろと、言います。
心理学は、イライラを我慢しても、非言語となって相手(子供)に伝わり、それは、言語以上の影響力を持つ、といいます。
でも、でもっ!
時間に追われる生活の中で、一体どれだけの人が、聖人君子的な親でいられるっていうのぉぉぉぉ!!!(かなり本音!)
そこで登場するのが、斉藤学さん・・・斉藤さんの回し者ではありません。
ただ、一介の親として子育てに混乱した時期があり、職業柄沢山の理論を学び、その中で、現実的にも職業的にも的を得ているなぁと思っているに過ぎません。
念のため☆・・・なのです。
彼は著書の中で、親の仕事は3つだと言っています。
1:子供を抱くこと
2:子供の行動に限界を設定し欲求不満を起こすこと
3:子供離れすること
まず、親が子供を穏やかに抱くためには、夫婦が互いをサポートしあっていなければなりません。愛情面でも行動面でも、です。これが子育てをするための、大前提です。
1の子供を抱くこと、が出来た上で、2が可能になります。限界設定とは、言葉通りの意味で、子供の行動に限界を設定していきます。赤信号では止まる・・・これらは各家庭共通の限界設定の代表的なものでしょう。
親はまず、生き延びることを我が子に教えるでしょう。
ご飯を残さず食べることを限界設定する家庭もあるかもしれません。また、朝食は必ず皆で食べるという設定をする家庭もあるかもしれません。
ちなみに我が家では、お箸の持ち方について、厳しい限界設定をしています。この辺りは、両親がそれぞれの価値感について話し合い、どれを我が家の限界(ルール)とするのかを決める必要があります。
この際、注意しなければならないのが、「普通」や「当たり前」「常識」だと思い込んで疑いもしない価値観を、私たちは持っているという点です。しかし、この点については、また、後日・・・長くなりそうなので・・・
1,2の両方が出来た上で、自立に向けて、子供から手を離していく、のです。
この時期に、親は子供の手をつないだままではいけません。かといって、突き放してもいけないそうです。
自然に離れていく子供を見守るのが、いいのだそうです。ちなみに、1,2が行われない状態で3を行うと、虐待です。
・・・・と、ここまで書いておいて、そして最後にお伝えしたいのが、そうだと分っていても、できない時が沢山ある、のが子育てだということです。
心理学を学び始めた頃、私は、「寒いから上着を着なさい!」と、子供が寒いと感じているかどうかも確かめずに、押し付けることが、母子間の境界が曖昧になっていることであり、優しい虐待の一つの行為だと知った時、愕然としたものです。
皆さんも、分っていても・・・という時が、きっとあるでしょう。
そんな時に、思い出してほしいのが、
親の願いは、子供が生き続けてくれることであり、
子育ての最終目標は、子供の自立である、ということ。
それだけで良いんだ!ということなのです。
「私はヒーロー役で、でも力尽きてスケープゴート役になっちゃいました」 とか 「私は何を演じていたかは分らないけど、弟は確かにクラン役でした」 といった沢山のメールを頂きました。
また、「今まさに私の子供は、殉教者役をしてます」というものもありました。
(メールを下さった皆さま、どうもありがとう(*^^*))
最初にお伝えするのを、忘れてしまっていたのですが、親の立場の方は、こういった家族関係のお話しを読む時には、まず、自分が子供の頃のことを思い出して、子供の立場で読んでください。
親の立場で読んでしまうと、自分を責めてしまうことがあります。
本当はね、責める必要なんてないのです。だって、100%の子育てなんて、どこにも存在しませんし、親には親の、そのようにしか出来なかった理由があるのですから。
まずは、子供の立場で読んでみる。
そして、思い当たることがあったら、
私は、どんなことがあって、その役割を演じることを決めたのだろう?
私は、誰からこの役割を学んだのだろう?
私は、この役割を演じることで、成長したその後、何を避けていたのだろう?
と、問いかけてみてください。
何かが、見えてくるかもしれません。
さて、さて。ここからが、本題です。
子供たちは、家族のバランスをとるために必要な何かを感じ取って、演じてしまい、成長後も同じ役割を演じ続け、その結果、生き辛さを感じたり、自分が何者なのか分らなくなってしまうことがある・・・のだとしたら、
私たち親は、一体どうしたら良いのでしょうか?
世間は、子供に対する躾を求めます。
育児書は、誉めて育てろと、言います。
心理学は、イライラを我慢しても、非言語となって相手(子供)に伝わり、それは、言語以上の影響力を持つ、といいます。
でも、でもっ!
時間に追われる生活の中で、一体どれだけの人が、聖人君子的な親でいられるっていうのぉぉぉぉ!!!(かなり本音!)
そこで登場するのが、斉藤学さん・・・斉藤さんの回し者ではありません。
ただ、一介の親として子育てに混乱した時期があり、職業柄沢山の理論を学び、その中で、現実的にも職業的にも的を得ているなぁと思っているに過ぎません。
念のため☆・・・なのです。
彼は著書の中で、親の仕事は3つだと言っています。
1:子供を抱くこと
2:子供の行動に限界を設定し欲求不満を起こすこと
3:子供離れすること
まず、親が子供を穏やかに抱くためには、夫婦が互いをサポートしあっていなければなりません。愛情面でも行動面でも、です。これが子育てをするための、大前提です。
1の子供を抱くこと、が出来た上で、2が可能になります。限界設定とは、言葉通りの意味で、子供の行動に限界を設定していきます。赤信号では止まる・・・これらは各家庭共通の限界設定の代表的なものでしょう。
親はまず、生き延びることを我が子に教えるでしょう。
ご飯を残さず食べることを限界設定する家庭もあるかもしれません。また、朝食は必ず皆で食べるという設定をする家庭もあるかもしれません。
ちなみに我が家では、お箸の持ち方について、厳しい限界設定をしています。この辺りは、両親がそれぞれの価値感について話し合い、どれを我が家の限界(ルール)とするのかを決める必要があります。
この際、注意しなければならないのが、「普通」や「当たり前」「常識」だと思い込んで疑いもしない価値観を、私たちは持っているという点です。しかし、この点については、また、後日・・・長くなりそうなので・・・
1,2の両方が出来た上で、自立に向けて、子供から手を離していく、のです。
この時期に、親は子供の手をつないだままではいけません。かといって、突き放してもいけないそうです。
自然に離れていく子供を見守るのが、いいのだそうです。ちなみに、1,2が行われない状態で3を行うと、虐待です。
・・・・と、ここまで書いておいて、そして最後にお伝えしたいのが、そうだと分っていても、できない時が沢山ある、のが子育てだということです。
心理学を学び始めた頃、私は、「寒いから上着を着なさい!」と、子供が寒いと感じているかどうかも確かめずに、押し付けることが、母子間の境界が曖昧になっていることであり、優しい虐待の一つの行為だと知った時、愕然としたものです。
皆さんも、分っていても・・・という時が、きっとあるでしょう。
そんな時に、思い出してほしいのが、
親の願いは、子供が生き続けてくれることであり、
子育ての最終目標は、子供の自立である、ということ。
それだけで良いんだ!ということなのです。