2021年9月掲載
色々な歴史が秘められている時計があります。
最近だと、フィリップス・オークションで20億円の破格の評価で落札された
ロレックス・デイトナ、通称ポールニューマンモデル。
ポールニューマンが実際に使用していた、
これこそ本物の「ポールニューマンモデル」。
これを超えるデイトナ・ポールニューマンは地球上に存在しないのですから。
これはニューヨークのTiffany本店で購入されてから、彼の娘に託されるまで、
全ての履歴がはっきりしています。世界で最も人気のある象徴的モデルの頂点ですから、価格の可否は別として、ヒストリーを伴うモデルとしては完璧です。
この他、ここでも書いた事がありましたが、
ティファニーがリストウオッチの新シリーズ “ CT60 ” をリリースした時、
アメリカの大統領 " フランクリン・D・ルーズベルト " が、
ヤルタ会談の時に着用していたティファニー製腕時計をそのモチーフにしました。
日本の戦後を決定付けた歴史的瞬間にその場で時を刻んだヒストリーを持ち、
今はティファニー社が買い戻して、アーカイブとして保存しています。
この様に、個人所有やブランドアーカイブ、そして美術館や博物館などに
保存されている時計は、少なからず面白い「ヒストリー」を伴うモデルがあります。
私はオークションハウスでスペシャリストもしていますが、
国際オークションはユニークな売買プラットフォームで、
時々思いも寄らないヒストリーを秘めたものに出会うことがあります。
それらを手にすると、何かしらのオーラが出ている様に感じるのです。
「これ、なんか普通じゃない!?」
と感じて調べてみると、大抵、それは思わぬ歴史を纏っているのです。
オーラって、気のせいなのでしょうか?
今回、たまたま自分の手元に、オーラと共にすごいヒストリーの時計がやって来ました。これには二つのトーキングポイントが秘められていました。
その一つは、持ち主が歴史的に有名な人物で、その記念碑的な持ち物であった事、
もう一つは時計自体です。
時計は私の知人が過去、クリスティーズオークションのあるファミリーの
「オンリーオークション」で入手されました。
その後、私の所へはメンテナンスの為持って来られて、その存在を知ったのです。
そのオンリーオークション自体は、ピカソやモネ、マティスなどもセールされ
絵画は44点で700億円を超えるビッグセールで大いに話題でしたが、
要は「時計オークション」ではない、という点がミソです。
作業を進めていく中で紐解かれてきたのは、
それまでに知られていた事実以上に貴重な時計だった、と言う事でした。
これは見ての通りTiffanyの懐中時計です。
一見普通のポケットウオッチですが、裏蓋に紋章が彫り込まれています。
これは家紋ですから、ポケットウオッチには良く見かけるスタイルですが、
紋章のデザインから、所謂、アッパーのファミリーのものであることがわかります。
そして、この裏蓋を開けると、
中蓋にはメッセージが美しくハンドエングレーブされていました。
そこには彫り込まれたメッセージは
To
David Rockefeller
on his twenty-first birthday
from his mother
Abby Aldrich Rockefeller
June 12.1936
これは、あの「ロックフェラー家」の『デイビッド・ロックフェラー』に
彼のハーバード大学を卒業した21歳の誕生日に彼の母である
『アビゲイル・グリーン・アルドリッチ・ロックフェラー』
(Abigail Greene "Abby" Aldrich Rockefeller)
より贈られた時計だったのです。
そう、現オーナーはクリスティーズのディヴィッド・ロックフェラーとペギー夫人によるコレクション、「ロックフェラーコレクション」セールによって入手していたのです。
時計はNYのティファニー本店でオーダーされています。
当時のアメリカでの大立者であれば、間違い無くそうなります。
NYセントラルパークに面したロックフェラーセンタービルに代表される様に、
ロックフェラー一族はNYをビジネス拠点にしていますし、
またティファニーは当時世界ナンバーワンの時計リテイラーであり、
アメリカのみならず、世界の富裕層は5番街のティファニー本店で時計や宝石を、
こぞって買っていました。
時計本体に話を戻しましょう。
文字盤にはティファニー銘のみ記されていますが、
これは完全に「パテック・フィリップ社」の作ったもの。
ケース内蓋と、ムーブメントにはパテック銘と”Made for Tiffany & Co”と
彫り込まれています。
これは通称ティファニー・パテと呼ばれ、この時代前後に見られるもの。
パテック・フィリップ社とティファニー社には、他社にはない特別な関係があるのです。それはティファニーが世界No1リテイラーとしての立場だけでなく、
かつてティファニーがスイス、ジュネーブに持っていた当時スイス最大のムーブメント工場は、そっくりそのまま、ティファニー設計によるムーブメントと共に、
パテック・フィリップ社に引き継がれました。
つまりティファニーは、パテック・フィリップのちょっとした親会社的な立場でもあったのです。
そんな関係は、パテックのジュネーブ・ブティックにある “ ティファニー金庫 ” と
“ ダブルネーム ” という形で後世に残ります。
時計本体の右側にレバーが見られるので、これからは引き打ち式、
即ちリピーターウオッチであることが確認できます。
実際にリピーターを作動させてみると、ファイブミニッツリピーターでした。
リピーターには、「クオーター」「ファイブミニッツ」「ミニッツ」と種類があります。ファイブミニッツはミニッツ・リピーターよりグレードが下、と思われがちですが、この個体に限りその認識は違っていました。
それは、弊社職人よってレストア(オーバーホール+製造時の状態に極力戻す作業)
時に確認されたものです。
弊社職人は世界でもトップクラステクニシャン。
メーカー(P社)の本国の職人より腕が立ちます。これは間違いありません。
時々「あーこれ、スイスの誰々がさわっていますね。
かなり頑張った形跡が認められますけど、あー、やっぱダメ、酷いですね〜」
とほざく事が許される人。
私が特別な時計が扱えるのは彼のおかげです。
数多くのあらゆる年代のコンプリケーションや、歴史的なパテックを修理してきた
彼によっても、このムーブメントは見たことが無い特別なものだと言うのです。
職人による説明は以下の要領でした。
「特筆すべき時計本体の作り」
まず地板の刻印にもありますが「EXTRA」表記。
これは高級機パテックの中でも格段に高級なムーブメントに相当し、
ウルフティース、フィリップスカーブスプリングはもちろん、
薄型でありながら、クロノメーター級のパーツと仕上げが施されている。
ここまでは、まあ、ある話。
しかし、当個体は…
→ファイブミニッツリピーターに
こんなスーパーハイグレードムーブメントが使用された例は見当たらない。
→ドテピンと呼ばれるレフトアングルを決める所が、ルビー製で、
爪石の様に調整が可能、しかもルビーだから摩耗しない。
→リピーターのゴングが今の物と比較にならない程キッチリ焼入れされ、
極めて硬い。その為きっと音質にもかなり影響している。
→しかもゴング当たる深さを調整する、今まで見た事ない機構があった。
これは資料を見ても見つからなかった。
→歯車のホゾの仕上げが古典的で、その為か殆ど摩耗が無かった。
→受け石は今の物と違い、片方向しか使えないが、
歯車やパーツがそれに合う様に調整されている。
即ちパーツ交換を全く前提としていないが、その分パーツは極力摩耗しない仕上げ
になっている。
→ケースも薄型でありながら「隠しヒンジ」でとてつもない技量とコストが
窺い知れる。
などなど…。
他の超高級機にすら無い機構が、この時計には搭載されているとこの事でした。
ここまでの特殊仕様だと、たぶん今のP社スイス修理部門でもちゃんと治せる人はいるかどうか、と思われる程の特別なもので、仮にメーカー出しでオーバーホールした場合、3年掛かっても戻ってこないで、でも請求は3万US$UPコースだそうです。
また、もし同じ物が今作れたら(出来ないと断言していましたが…)
最低でも60万$は付けるでしょうとも。
「この時計の調整、君らがやれるもんならやってみな!」と
当時の職人から挑戦状を叩きつけてられている様な作りで、もちろんそれは、
時計師の腕次第では「鬼調整」が出来る訳です。
(弊社の職人はやってます「鬼調整」。
でも約100年前の時計なので、それなりにと言っていましたが。)
前述した様に、ファイブミニッツリピーターに、
こんなスーパーハイグレードムーブメントは使用された例はありません。
きっとこの時計には、ロックフェラー家の時間への考え方などが
家訓の様に深く反映されていているのではないか、
それがハーバードを卒業し、実業界へデビューするまだ若いデイヴィッドに
時計に機能として組み込まれ、伝えたのではないか・・・。
これが、ティファニーを通してパテック・フィリップに5ミニッツリピーターを
わざわざビスポークオーダーした理由だと推理するのです。
この時計のレストアにはロレックス、サブマリーナノンデイトが定価で買えるだけの
コストを掛けました。
これは結果大正解でした。
そうしてまで、後世に残すべき時計だった訳です。
究極のフェミリーヒストリーと、究極のメカを併せ持つ奇跡の時計。
母から送られた、きっと一番大切だった時計でしょう。
現オーナーは、時計の素性を知って恐れをなしてしまって(!?)
次の預かり人を探しています(笑)
日本にも縁の深いディヴィッド・ロックフェラーです。
できれば国内の博物館、美術館、
それがダメならせめて日本に留め置きたいものです。
歴史的名作と市場価格は全く違います。
定価400万円のスティール製の量産現行品が
オークションで5400万円の値をつける今日、
これだけのものが、現行品の足元にも及ばない価格で取引されています。
現行品人気は水ものです。
しかし、本物であり、そして歴史が紐付いたもの、
これは「永遠」なのです。