竹原八郎の墓のある場所は、国道169号のすぐ上に移転したもので、かつては屋敷跡と同じ川の近くにあったようだ。一方の戸野兵衛の墓(戸野一族の墓であるが)は、当時の代表的な墓の造りである宝篋印塔(五輪の塔)である。但し、これらの墓は、非常にわかり難い場所にあり、一般に行く場所でないので評価×

 この地域の有力な豪族でありながら屋敷跡となると弱い部分で、堀などの遺構は無く、熊野市神川町花知にある屋敷跡(花知神社)の方が歴史的に本物っぽい遺跡なのでは? 
竹原八郎墓
戸野兵衛墓



旧大塔村(五条市)の村名は、大塔宮護良親王の歴史に因んだもの。大塔地域の歴史と文化を正しく後世に伝えるべく、立派な大塔村郷土館があり、大塔宮護良親王に関する文化財が保存されている。小さな資料館で展示物など少ないが、資料のナレーションなどが用意されわかり易く、なかなかのもの。価値○。
大塔村2
大塔村1

 大塔宮護良親王の熊野落に関しては各地域でさまざまな伝説が残されており、旧大塔村(五条市)や十津川村では各所に残る遺跡や古文書などが整備保存され「わが郷土こそ伝承の地」として後世に語り伝えようとする取り組みがなされている。

これに対し北山村は、親王伝説や地元豪族の竹原八郎、その甥の戸野兵衛など少なからず貴重な史蹟が残されているが一般にあまり紹介されていないのが残念に思う。

「温故知新」古きを尋ね新しきを知る。どこでも歴史民族資料館なるものが造られ、地域の伝統文化が育まれているが、この手の類は村の弱い部分であり残念に思う。(新しいもん好きの自分も同じであるが・・)

さて、旧大塔村には、竹原八郎の墓「五輪の塔」や戸野兵衛の旧家その一族の墓、さらに、親王の遺品など伝承地にふさわしい史蹟がある。また、十津川村には、親王の滞在した場所といわれる「黒木御所」や家臣の村上義光の武勇伝「腰抜田」や田岡八郎の討ち死にした「花折塚」などがあり熊野に潜入した親王の形跡が伺える。一方、北山村には何があるか・・・・つづく。