有害鳥獣駆除も残りわずかだが、地元商店の納屋にアライグマが入っているので、捕まえてほしいとの連絡があった。近頃、アライグマやハクビシンなど外来生物による農作物の被害も増えてきているようだが、こんな田舎にもいるのか?と不思議に思いながら現場に向かったところ、やっぱりアナグマ。



 昔、小さい頃に仲間とよく古い民家に入ってコウモリを捕り行ったことがある。このコウモリのショットは最近では珍しいと思い、子供(優)に見せるが反応はイマイチだった。


コウモリⅡ コウモリ


又、近くの山で遭遇したヤギ。白鹿じゃなく山羊。地元の人の話では「誰かがここに捨てて行ったたらしい。」(こんなもの誰が?)これも見せたが大して驚かない、最近の子供は妙にドライで面白くない。


コウモリ2



 花知神社の案内には・・・後醍醐天皇の皇子である護良親王が熊野落ちした際、ここ,で自分の館に迎え守ったのが竹原八郎。親王は令旨(手紙)を全国に発して倒幕に奔走し、その結果鎌倉募府は滅亡、建武の中興が始まった。竹原八郎もその殊勲者の一人で、伊勢方面に進出し幕府方の守護代や地頭を襲撃するなどの活躍したとされる。光厳天皇の日記である「光厳院宸記」の元弘2年(1332)6月29日の記事に「地額両三人討チ取ラレ、守護代宿所焼キオハラル。コレ熊野山ヨリ、大塔宮(護良親王のこと)ノ令旨ヲ帯ビ、竹原八郎入道、大将軍トナリ襲来。」と記されている。  熊野市神川町にある花知神社の屋敷跡は、東西40m、南北44m、幅8mの土塁と深さ6mの空堀があり、この地方唯一の南北朝時代の遺構で貴重なものであるとされる。

 竹原八郎のその後の消息は明らかではないが、この働きで大正6年(1916)に正四位の位階を与えられている。(正四位は位階制度の序列としては今の知事に相当する上位であるらしい?) 又、子孫には竹原新四郎(紀州一揆に加担した豪族)などがいて熊野地方では有名である。

 自分がまだ小学生低学年のころ、花知に住む祖母の家がこの神社の隣にあったため、よく遊びに行った記憶があるが、(賽銭など盗んだ記憶はない。)今でも境内一面には美しいコケが生え「歴史街道」という雰囲気がある。評価は○
花知神社
花知神社2