歴史認識、慰安婦問題に関する私の考え
歴史認識問題とか、慰安婦問題とか、いろいろ物議をかもしていますね。
「誰が何を言った」系のニュースにも思うことはありますが、よく知らない他人の発言を云々するのは好きではないので、自分の考えだけ書いておきます。
「これが正しい」と主張したいわけではなく、自分の現時点での考えを備忘録的にまとめたものです。
Q1.歴史認識問題について、基本的にどのように考えるか。
A1.日韓併合、満州事変、日中戦争はいずれも、相手国に対する不当な侵略行為であったと考える。謝罪すべき立場にあるのは当然のことと思う。
ただし、賠償は解決済。つまり「本当に申し訳なかった。心からおわびする。(これ以上お金を払うつもりはないけど)」と言えばいいということ。
Q2.もう何十回も謝罪している。まだ謝罪が必要なのか。
A2.「日本は悪くなかった」という発言をする政治家が何度も現れ、本当に謝罪の意思があるのか疑われる限り、謝罪が求められ続けるのは避けられないと思う。
これ以上謝罪をしたくないなら、有力政治家は謝罪の意思を否定するような発言をやめた方がいいと思う。
その点、村山談話、河野談話は絶好の武器。
「村山談話のとおり」「河野談話のとおり」と言い続ければ、謝罪の意思は否定しない一方で、繰り返し「ごめんなさい」とは言わずに済む。その結果、近隣諸国からの謝罪要求も出てこなくなる。この2つの武器を徹底的に使い倒すべき。
Q3.日韓併合は「植民地支配」ではなく、日本本土への併合であり、その結果、韓国の利益にもなったのではないか。また、満州事変や日中戦争は、学術上「侵略」とは確定されていないのではないか。
A3.私は学術上も「植民地支配」「侵略」に該当すると思うが、それ自体は政治的にはさして重要ではない。
「申し訳ない、謝罪に値する」行為であったかどうかが、政治的には問題の本質。
「申し訳ない、謝罪に値する」と考えているのであれば、政治的には、些細な学術上の問題にこだわるのではなく、「申し訳なかった。謝罪する」とだけ言うべき。
学術上の問題を学問の世界で解決することも有益ではあるが、それで政治がやるべきこと(謝罪)は何も変わらない。
Q4.「植民地支配」「侵略」という学術上の論争ではなく、そもそも「申し訳ない、謝罪に値する」行為ですらなかったのではないか。
A4.私は「申し訳ない、謝罪に値する」行為だったと思うが、そういう意見もあることは否定しない。仮にその意見が成立すれば、政治的にも謝罪する必要はなくなるので、大きな意味がある。
ただ、これは日本国内で議論していても無意味。諸外国(アメリカ、ヨーロッパ、アジア)にそういう論争を仕掛け、勝ってはじめて意味がある。
日本の政治家には、そういう徹底論争を仕掛ける人はいないように見える(いったん仕掛けても、アメリカで旗色が悪くなるとすぐに村山談話に逃げ込む)。
だとすれば、この意見は負け犬の遠吠えでしかない。
←「遠吠え」のイメージ画像
そもそも、歴史認識論争は、国際的にはどう考えても、戦争に負けた日本にとって不利な場。
中国・韓国は、不利な領土問題を有利な歴史認識論争とつなげる戦略をとっているのだから、日本は「不利な歴史認識ではひたすらお詫び、でもそれは領土とは無関係」という戦略をとった方が有利だと思う。
Q5.村山談話、河野談話は事実も確定していないのに、自虐的な表現で日本をおとしめており、問題ではないか。
A5.まずは、村山談話 、河野談話 の全文を読んでみてください。
村山談話は、全体の中でお詫びはごく一部分で、未来に向けた誓いというトーンが色濃く出ている。また、なかなか格調高い文章でもあります。
全文を通読すると、意外なほど「自虐」というイメージからは遠い。
河野談話は、前半の「強制」「軍の関与」の事実関係を述べるくだりに、様々な異論があるのはわかる。
ただ、結論は「数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省」。慰安婦の実像がどんなものであったにせよ、女性たちが「苦痛を経験し、心身に傷を負った」ことへの異論は少ないのではないか。
また、両談話とも、法的責任につながる「謝罪」という言葉を避け、「お詫びと反省」という、責任をやや弱める言葉で統一していることにも注目すべき。
個人的には、
・村山談話は、お詫びと反省をしつつ日本の体面も保った、格調高い名文
・河野談話は、やや軽率な表現もあり同意し難い人がいるのもわかるが、これでアメリカを含む諸外国を納得させられるなら、政治的には安いもの
だと思っています。
Q6.植民地支配、侵略、慰安婦など、他国もいくらでもやっているではないか。
A6.根本的に「他国もやっている」は何の反論にもならない。よそはよそ、うちはうち。日本がやった行為をどのように考えるのかがすべて。
それが大前提ではあるが、「他国も同じようなことをやっていた」のだとすれば、確かに日本の責任を軽く見せられることも事実。
ただ、日本と他国がやっていたことは本当に同程度だったのか、検証が足りない。
例えば慰安婦について言えば、どの程度の数の慰安所を設け、働く女性をどう確保し、現地での女性の扱いはどうでといった事実関係について、日本と他国の正確な情報がなければ、日本の責任が他国と比較して重いのか軽いのかの判断はできない。
第2次世界大戦期について言えば、日本と同程度の規模で、その職業にもともとついていなかった女性を、本人の意に沿わない形で集め、遠方に運ぶような形で、慰安婦を設けていた国はなかったのではないか。
こういう事実関係について、単なる個々の事実のつまみ食いではなく、学問的な裏付けを持った検証が必要で、単なる「軍に公娼はつきもの」という一般論では、日本の責任を軽く見せることにまったく役立たない。
そして繰り返しになるが、大前提として「他国もやっている」は反論にならない。
よそはよそ、うちはうち。
Q7.靖国神社参拝をどう考えるか。
A7.一言で言えば、「戦争へのお詫びと反省を疑われないための工夫とセットであれば、靖国参拝には必ずしも反対ではない」。
靖国神社は、戦時中は戦意高揚に利用され、A級戦犯が合祀され、また、遊就館の展示から日本の戦争を正当化する意思を持っていることも明らか。
こういう場所に多数の政治家が参拝することは、戦争へのお詫びと反省の意を疑わせるに十分であり、あまり賛成できない。
靖国神社以外で、誰もが納得できる戦没者の慰霊の場を設けられれば、ベスト。
ただ、過去の経緯から、靖国神社こそが英霊の眠る場所であり、他の場所では代替できないという意見もよくわかる。
そういう意見を尊重して、靖国神社を中心に戦没者の慰霊を行い、政治家も参拝するという形も、1つの選択肢だとは思う。
しかし、そうするならば、戦争へのお詫びと反省の意を疑われないようにするための徹底した工夫が必要で、今はその工夫が足りなさすぎる。
少なくとも、参拝する政治家が、
・参拝に当たり「戦争へのお詫びと反省の意は持っている。A級戦犯の行為を正当化するつもりは一切ない」と常に表明する
・靖国神社に対し、日本の戦争を正当化するような展示、発言は一切しないことの確約を求め、遊就館の展示内容を国の見解に沿うものに修正させる
などをすることが必要だと思う。
できれば、A級戦犯の分祀もした方がベターでしょう。
これは、別に他国への配慮のために行うものではありません。
戦争へのお詫びと反省の意を持った政治家が、国に命を捧げた人々に敬意を表するという純粋な気持ちで、靖国神社に参拝しようとすれば、A級戦犯の合祀や遊就館の展示がお詫びと反省の意に沿わないことが、自然と気になるはずだと思います。
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以上、歴史認識などについての自分の考えを、備忘録的にまとめてみました。
「これが正しく、他は間違っている」と言うつもりは毛頭ありません。
こういう意見も正反対の意見も含め、多様な意見が交わされることを期待しています。