少子化の流れは仕方ないにしても、ペースがひどすぎる。
増税に物価高と、子育て環境の悪化に拍車がかかるばかりだが、
だからといって少子化が進めばさらに悪くなるのは目に見えている。
子どもたちが減れば将来の労働人口は確実に減り、
そうすれば今は当たり前のように享受できているインフラの提供やサービスが
受けられなくなるのは当然のことだからだ。
しかし真綿で首を締めるように進行がゆっくりであるために、
また多くの人は少なからず日本の未来に対して無責任であるために、
自分たちの都合ばかり優先して事態を深刻にとらえていないように見える。
それどころか「子育て様」などと子育て中の人を揶揄する人さえいる。
まさしく典型的な「ゆでガエル状態」だ。
情けないことだと思う。
そんな感じで今の世の中、人の価値観は「モノ・カネ」ばかりにかたよって、
「ヒト」の部分がまるでないがしろにされているなと思うことが多い。
テレビを見ればおいしいものだとか、どこそこの旅行の番組ばかりで、
「お金が入ったらどうしますか」と訊かれれば、「旅行に行きます」と言う人が
やたらと多いことに違和感を覚える。
僕は常日ごろから、「賢くなりたい、かっこよくなりたい」と思っている。
だからもし時間があるなら、面白い本を読みたいし(『地面師たち』読んだよ)、
プールに行って泳ぎたいし、ギターかドラムか楽器を練習したいし、
資格の勉強をしたいし、ブログを書きたい。
これらが今の僕にとって充実感を持って夢中になれることであり、
また賢く、かっこよくなるための努力だと思うからである。
でも旅行など、百万回したところで賢くもかっこよくもなれないだろう。
「あの人はよく旅行しているだけあって賢いなあ、かっこいいなあ」などと、
ただの一度も感じたことがない。
むしろ旅行をしたがる人で、本をよく読んだり、楽器を楽しんだり、
じっくりと思索にふけるタイプの人は少ないように思う。
人の生き方・感じ方は自由だから否定はしないけど、
旅行のように僕にとって優先順位の低いものに付き合わされて、
自分の時間や労力を浪費させられたくはない
(もちろんそれが家族の喜びにつながるのであれば、話は別なのだが)。
小説の『赤毛のアン』で、アンは、ギルバートというハンサムで頭もいいが、
ちょっと意地悪なところのある男の子に、
自分が気にしている赤毛をからかわれたことで、
怒りのあまりそれ以来口を利かなくなってしまう。
ギルバートは何度も謝罪し、また仲直りするいい機会もありながら、
アンは意地になってあくまで謝罪を受け入れない。
そうありながらも、時間がたつにつれ、
ギルバートと新しい世界のことや未来の抱負について
楽しく語り合えたらいいのにと思うようになってくる。
ギルバートは賢く、ものごとにたいして自分の意見をもち、
人生の最良のものをとり、また自分の最良のものを与える意志をもっていた。
それに対して、ルビー・ギリスという美人でイケイケの女の子は、
「ギルバートの言うことは半分もわからない、
ちょうどアンが何かを考えこんだときに言うのとおなじことを言う。
あたしは必要のないときに本やそんなことに頭を使うのはつまらないと思う」
と言うのである。
この対比がいい。
ルビー・ギリスは、おいしいものを食べるとか、きれいな服を着るとか、
どこかに旅行に行くとか、いわば「モノ・カネ」に興味があるタイプなんだろう。
それに対してアンやギルバートは、人の生き方や考え方など、
いわば「ヒト」に興味があるタイプなんだろう。
世間一般ではルビー・ギリスのようなタイプの人の方が多いだろうが、
僕はアンやギルバートの方に親近感を覚える。