僕が小学生のとき、校長先生が全体朝礼でこんな話をした。
ある老父と少年がロバを売りに行くために歩いていた。
するとある男が「あなたたちはロバを連れているのに
どうしてどちらかがロバに乗らないのか。もったいない」と言ってきた。
親子はなるほどと思い、少年がロバに乗ってしばらく歩いていると、
別の男が「父親を歩かせて子がロバに乗るのか」と非難してきた。
そこで今度は老父がロバに乗ってしばらく歩いていたところ、
それを見たおばさんの集団が「子どもを歩かせて大人がロバに乗るなんて」と
口々に文句を言ってきた。
そこで親子2人でロバに乗って歩いていると、
それを見た男に「いくらロバでも人が2人乗れば重くてかわいそうだ」と
指摘してきた。
そこで親子は棒にロバの足を縄でくくり付けて逆さづりにし、
エッサホイサと運んでいたところ、その姿の面白しさに人々は大笑いした。
そこで橋に通りかかったところにロバが暴れて縄がほどけ、
ロバは川に落ちて死んでしまった、というお話。
校長先生は、「私はこの親子にも悪いところがあると思うんです」
と言っていた。
これは学校の道徳の教科書にも載っていた話なので僕も知っていたのだけど、
今でも確かにそう思う。
僕は新卒で入社した会社を6年で辞めた。
一番大きな原因は奥さんの精神的不調(ちなみに僕が原因ではないよ)。
10か月近くなんとかしようといろいろやっていたけれど、
僕も精神的に疲労が積み重なり、手や顔に湿疹も出てくるほどになって、
「今の状況のまま生活を続けるのはもう無理だな」と思えてきた。
だから、僕まで健康面や精神面で本格的に不調に陥っていろいろ破綻する前に、
優先順位の低いものから削っていくことにして、会社を退職することにした。
僕までだめになってからでは遅いからね。
一応、上司には休職ができないかとも訊いてみたが、
「本人が理由ではない休職はできない」と言われた(今なら介護休暇があるかな)。
まあ、その会社は体育会系の金融子会社で、社員に対してかなり不誠実であり、
たとえば社員が退職前にまとめて有休を消化することを絶対に許さなかった。
僕がこれまで勤めた会社の中でそんなに堂々と労基法違反をしているのはこの会社だけで、
そんな会社だからこそ、そこまで執着しなかったというところもある。
社風はいうなれば、臨機応変、短期志向、嘘も方便、人間不信、公私混同、同調圧力、ダメ出し大会。
そんな会社でありつつもまだ辞める気はなかったのだけど、
これを機に、いろいろ疑問のあった会社も職種も変えてしまおうと思った。
どうせなら少しでも自分の人生を良い方向に変えたいからね。
しかし、周囲の人に相談はしなかった。
家族の精神的不調なんてのは人にべらべら話すようなことではないのもあるが、
そういう家族の不調や転職活動なりに対して、
具体的に有用な知恵や情報を持っている人がいるとは思えなかったのである。
また僕が小さい頃、疑問に思うことを人に「いいからこうしろ」と強く言われて、
我慢して従っていたが、結局は自分の人生にとって大きなマイナスになったことがあった。
「人が言うことは雑でいい加減なことが多い」というのが、その経験から得た苦い教訓だった。
それに加えて僕自身もだいぶ精神的に疲労しており、
毎日働きに行くだけでも精一杯だった。
いわば休日に最低限のことをまとめてやって、
それ以外は何もできないような生活だったので、他のことに割く余力はなかった。
こういう情報量の多い話は、整理して口に出して説明するだけでもしんどいものなので、
人には退職するという決定事項だけを報告することにした。
ところが人というのは、自分にとって聞きなれないことを聞くと、
反射的にとりあえずで反対してくる。
「会社は辞めない方がいい」といろんな人が言ってきた。
僕は会社を辞めた後もとりたてて人の力を借りる気はなかったし、
自分のことを自分の責任で決めるのは当たり前のことなのだけど、
人というのは「心配している」とさえ言えば、
何を口出ししても許されるものと思っているらしかった。
人によっては「自分が納得できるだけの説明をしてみろ」と
いわんばかりの態度だった(主に会社の人たち)。
僕も「話を聞かせてほしい」という人を無下にするつもりはないから、
どうして辞めるのかとか、辞めた後にどうするつもりなのかなどを伝えるのは
やぶさかではないのだが、基本的に人のために時間や労力を割く気はなかった。
この事態に助けがほしいのは僕の方なのに、余裕のない僕が余裕のある人のために
時間や労力を負担するというのはなんともおかしな話だ。
だからそういう人たちには、「聞きたいことがあるなら僕が文章にするから、
まずはそれを読んでからにしてほしい」と伝えた。
僕は人に何度も同じことを言うのは嫌だったし(ジョルノ・ジョバーナのごとく)、
内容も聞いてすぐに理解できるほどの情報量とは思えないから、
時間を割くならきちんとポイントを理解した上で臨んでほしかったのである。
ところがそういう人たちは、なんとしても文章を読む手間から逃げる割に、
「自分がいかに心配しているか」だけはアピールしたいようで、
何の遠慮もなく僕が休める時間に割り込んでこようとする。
そして言うことは結局はありきたりの一般論のみで、何の役にも立たなかった。
「退職日まであと何日だ」と指折り数えながら、最後まで手を抜くことなく、
仕事の引継ぎに毎日くたくたになっているときに、
そういう人たちの自己愛と甘えに付き合わされるのは、ほんとに迷惑だった。
結局、僕が会社を辞めた後、3年か4年ぐらいの引きこもり生活を経て、
うちの奥さんは普通に生活できるようになった。
この引きこもりの状況に対してモノ、カネはまるで無力で、
ほとんどが僕の力だったと思う。
このときに、本当に頼りになるのは自分自身なのだと痛感させられた。
うちの奥さんはご飯はなんとか作ったり買ったりして準備はしていたが、
基本的に僕以外の人とは関わらない生活になった。
後にうちの奥さんは、僕がいつ怒り出すかビクビクしていたと言っていたが、
うちの奥さんが自分でもこの状況を不本意に思っていることは分かっていたから、
腹が立ったりイライラしたことは一度もなかった。
しんどいときは何もせずに休みたいというのは僕だってそうだから、
無理に外に引っ張り出そうとしたり、何かをさせようとはしなかった。
「なんで俺ばっかり働いてお前はゴロゴロしてるんだ」と怒り出すほど
小さい男ではないようである、我ながら。
ただ笑えなくなったらまずいと思っていたので、
時々おどけたことをして、笑顔になれるかどうかはチェックしていた。
そうやって過ごすうち、うちの奥さんも心の中で何かが整理できてきたのか、
とある資格を受けたいと言ってきた。
何か前向きな目標ができるのは良い兆候だった。
その頃から僕も人に連絡を取ったりして、
少しずつ外部との交流が復活していった。
なんとかうまく回復したようだった。
僕の方はというと、退職後にリーマンショックがあり、
就職ではいろいろ苦労はあった。
新卒時は就職氷河期、退職後はリーマンショックで、不運だったとは思う
(それなのに今は人手不足で、
今度は採用する側として苦労しているとはどういうことだろうか)。
だが紆余曲折の後、長男の誕生を機に関西から広島に引っ越し、
今は仕事もなんとか落ち着いている。
そう思うと、あのとき会社を辞めて本当によかったと思う。
会社も職種も住む場所も、すべて今の方がいい。
会社は給料は負けるが、人間は今の方がずっといいし、
職種も昔の金融系システムエンジニアより、今の経理の方がよほどよい。
僕の得意な計算がより活かせるし、どの場所でも使えるスキルだからね。
また住む場所も、僕にとっても息子にとっても、関西より広島の方がいい。
僕は関西に10年以上住んでアンチ関西になったし(あくまで個人的にね)、
性格のやさしい息子にとって、ダメ出しの多い関西文化は合わなかったと思う。
また広島には甥っ子姪っ子がいて、息子といい遊び友達になっている。
息子が生まれるタイミングで広島に移ってほんとによかった。
だからもしあのときに会社を辞めていなかったら、
どれだけみじめな状況に陥っていたかと想像すると、今でもぞっとする。
そう思うとあのとき、大した根拠もなく僕に会社を辞めない方がいいと
言ってきた人たちには、猛省してほしいと思う。
「心配してもらっているだけありがたいと思いなさい」とはただの甘えであり、
自分の言動に責任を持つつもりがないのなら、最初から何も言わなければよい。
ロバを売りに行く親子にああだこうだと言ってきたような人たちは、
いつの時代にも、どの場所にも、必ずいるもののようである。