【歴史の雑学】
江戸時代、わずか50人で江戸の犯罪を取り締まった 「火付盗賊改」 はどんな組織構成だったのか?
*Japaaan (2月19日) より*
■ わずか50人の精鋭部隊

池波正太郎の『鬼平犯科帳』には、大河ドラマ『べらぼう』にも登場する長谷川平蔵の右腕である筆頭与力の佐嶋忠助、うさぎ饅頭に似ているこたから 「兎忠」 と呼ばれる同心の木村忠吾のほか、勘定方同心川村弥助のような事務方も登場します。
では、実際の火付盗賊改の組織はどのようなものだったのでしょうか。
この一年間というのは、長谷川平蔵の次に火付盗賊改の長となった森山源五郎の時代です。
これによると、火盗改は与力10騎と同心4人の合計50人。
なんと、全部で ” 50人しかいなかった ” のです。
で、彼らにはそれぞれ細かく役割分担がありました。
まず江戸市中を巡回し、犯人の捜査・逮捕にあたったのが召捕方廻方与力7騎付同心7人です。
現代の私たちがイメージする、いわゆる ” お巡りさん ” ですね。
残り3騎の与力は役所詰与力で、召方廻方が捕らえてきた犯人の吟味 (取り調べ) をしました。
6人いる届廻同心は、御側衆、老中、若年寄の邸宅を分担して巡回しました。
パトロール人員ですね。
ちなみに御側衆とは、将軍に近侍し、老中退出後の事務処理を行った役職のことです。
■ 出張も事務作業もあった
また、証人や参考人の呼び出しにあたるのが、差紙使同心として9人います。
火盗改の官舎ができたのは慶応元年 (1865) のことで、役宅を使ったのは最後の長官である戸田与左衛門のみです。
ちなみに、差紙とは ” 召喚状 ” のことです。
長官の秘書役となるのが頭付同心3人で、出火場所の視察や市中の巡回にも同行しました。
主な活動範囲は江戸市中ですが、必要な場合は与力・同心を関東・東海・北陸・東北方面に派遣して捜査を行わせた例もあり、出張捜査もあったわけです。
『鬼平犯科帳』の 「鯉肝のお里」 でも捜査のために同心・沢田小平次が上州 (群馬県) に派遣されるなど、たびたび地方出張が描かれていますが、あれは実際にありえた話なのです。
ちゃんと事務員さんもいたんですね。
事務方の同心はこのほかにもおり、犯人の所持品や没収となった家屋の家財の処分、雑物と呼ばれる盗品の処理などを行う雑物懸同心2人、溜勘定懸同心1人という構成でした。
ちなみに、溜勘定懸同心の 「溜」 とは、病気になった囚人の収容施設のことです。
溜勘定懸同心は、この 「溜」 に預けた囚人の食費などの会計業務を行いました。
■ フォロー体制も意外ときちんとしていた
事務方の同心は、まだまだいます。
上記のほかにも、病気や事故などで休んだ同心の事務を代行する浮役同心が2人いました。
ちゃんと休んだ人をフォローする体制もできているあたり、意外と現代の会社組織よりも ” 危機管理態勢が整っている ” と言えるかも知れませんね。
『鬼平犯科帳』では、同心たちが宿直するシーンがたびたび描かれていますが、実際に書役同心4人、差紙同心4人、頭付同心2人の10人が交代で宿直にあたりました。
それまでは自らの屋敷に、訴所やその控え所である内腰掛、犯罪者の吟味・裁定を行う白洲や仮牢、拷問道具を揃えた取り調べ施設などを設けていました。
こうした組織構成を、現代の警察組織と比較してみたら面白そうですね。
参考資料:
縄田一男・菅野俊輔 監修
『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』
2023年、宝島新書
『 火付盗賊改 』
拙者が 「鬼平犯科帳」 と聞いて思い浮かべるのは、子供の頃に見たテレビで長谷川平蔵を演じられていた ” 萬屋錦之介さん ” ですね (^_^;)