スイスに住んでいた4年前の話です。
ロシアがウクライナに侵攻し、戦争がはじまりました。西側各国はすぐにロシアに対する経済制裁を発動し、互いに飛行機の乗り入れがストップ。ロシアは陸の孤島になりました。…と思っていたある日のこと。娘のお友達が家に遊びに来ました。
近所の公園
お友達のママはロシア人で、知的な専門職をされている、聡明でバイタリティ溢れる女性でした。いつも忙しそうにいろんな国を飛び回っていて、この日もナニーさんがお友達をピックアップに来るのかな?と思いきや、ママ本人がお迎えに現れました。
「今日はありがとう。はい、これお土産!」
と彼女から渡されたのは、トルコのお菓子。
「トルコ?どうしたの?」
「モスクワに行ってたの。ほら、いま飛行機がトルコ経由だから」
とこともなげに言うではありませんか。
えっ、ロシアっていま行けるんだ!?
「モスクワはどう? ご家族は大丈夫?」
「みんな元気よ。両親はちょっと薬が手に入りにくいといっていたけど、それくらい」
戦時下のロシアというと、アンタッチャブルでとても行けないイメージでしたが、彼女は軽々と行き来していたのでした。
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似たような驚きは約2年前にもありました。イスラエルがレバノンの首都ベイルートに大規模な空爆を開始したときのこと。
当時住んでいたエジプトの家の近くに知人のレバノン人女性が住んでいて、そこへベイルートに住む大学生の娘さんが空爆を逃れて一時避難してきたと聞いたので、美味しいチーズケーキを差し入れに行きました。
ケーキだけ渡して失礼するつもりが、この機会にぜひレバノンワインでも飲んでいってと誘われ、お招きにあずかることに。美味しいレバノン家庭料理をごちそうになりつつ聞いた話では、娘さん以外のご家族はレバノン国内の山の家(別荘)に避難中とのこと。
中東=砂漠のイメージと違い、ベイルートは地中海に突き出た岬の街で、三方を海に囲まれているのだそう。海に近い自宅とは別に山の家を持っている人が多く、キリスト教徒の山とイスラム教徒の山は分かれているので、キリスト教徒の山にいれば大丈夫なのだとか。
命からがらな感じを勝手に想像していたのですが、娘さんからすると「大学が休講になったのでお母さんのいるエジプトに遊びに来た」ぐらいの温度感だったようで、数週間後に大学が再開するとベイルートへ戻っていきました。
当時まだイスラエルとレバノンの戦闘は続いていたので、えっもう帰ったの?と驚きでしたが、その後も彼女たちは気軽にレバノンへ行き来しているようです。
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そして今。自分たちが似たような状況になりました。戦争中だけど特に退避もせず、戦争中だけど普段通りの暮らしをし、戦争中だけど国外へバカンスに行ったりしています。
当時は彼女たちの行動に驚いていたけど、自分の身になってみると、なるほどねえ、という気持ち。何事も経験ですね。

