生きていくのはしんどい

 

いろいろな形の苦労はあると思うが

私の場合は隣に住むもう89歳のお姑さん、そして、

その息子、つまり旦那もなのだろう

 

まだ付け加えることはある

私の生い立ち、

 

私の父は交通事故による身体障碍者だった。

あの人も生涯我慢して生きた人に違いないが

私もその父親に似てそうなのだろうか

 

 

ことの成り行きは

減薬を始めたことによる不調、

そして長女の出産を控えていたので、お世話をするその不安のようなものから不調が続いていたが

 

だから毎週姑さんを食料品の買い物に連れていくのだが

先週の水曜日に限っては

さぼってしまった。

 

連れて行くときはたいてい午前中に行く。

しかし、その日私は自分の好きなように時間を使いたくて、

連れて行く方がいいのだろうな、と、頭のどこかにありながら

ふらりと、一人で街に出てしまった。

 

そして、昼前に姑さんにと、美味しいパンを3個買って帰ってきた時

パンをもって隣に行ったら、

いきなり、姑さんがある程度の剣幕で、こう言ってきた。

その時、悪友ともいうべき姑さんの友達というか、近所の人が来ていたのだが

 

「○○さんも心配して、食料品を買ってきたろか?、と言ったくらいやのに!」

 

つまり、なぜ連れて行ってくれなかったんだ!

連れて行くのが筋だろう!

 

と、姑の気持ちを私にぶつけてきた。

 

私はそう言われて、

 

「お昼からいきましょうか?」

 

とは言ったが、

 

そしてもう一言、

 

「医者に行くのもふらついてなかなか行くのがしんどいのに!」

 

 

私はまたとっさに、

(祭日だったので)「今日は医者は休みでしょう?」と言った。

 

 

極めつけは

持っていた買ってきたパンは「ありがとう」と言って持ち去った

さんざん私にぶつけた後で。

 

 

 

とにかく、あの人は、89歳で、確かに体は弱ってはきているが、

その生きる執念はものすごく、

気弱なところは微塵にも感じられなかった。

 

 

別に、強く生きてもらうのは構わない。

だけど、その執念をそんなに嫁の私にぶつけてくるんだ、

そんなに自分が生きていくための不満を私だけにぶつけてくるんだ、

と、ショックだった。

(姑は息子には決して辛く当たらない)

 

もちろん、そういわれた瞬間は

大体私は人から攻撃的なことを言われるのが苦手なので、

そのことに対してショックを受けた。

 

そして、まだある。

 

家で昼食を取ってから、

さあ、今から姑さんを食料品の買い物に連れていきましょうか、と、母屋の方を見たら、

なんと、南側の窓にレースのカーテンがきっちりと引かれてあった。

(うちは母屋の北側にあります)

 

これはつまり、何を意味するかというと、

「私に、寄ってくるな。お前と食料品を買いに行く気持ちなんてさらさらない。」

と、言っていることである

 

大体、少し小寒い時もあるこの時期、

そして、家の中に少しでも太陽に光を入れたい時期であるだろう。

それなのにレースのカーテンをわざわざ引くという。

 

姑さんはいつもそう。

嫁の私に対して、気に入らないことがあると、寄ってくるな とばかりレースのカーテンをいつも引く。

 

30年隣で住んできて、いわゆる悪い意味で、ツーカーの仲で 理解できる現象である。

 

 

結果、私は連れて行かなかった。

そして、ご飯を作ってもっていくことさえもしなかった。

(しょっちゅう下痢をしているみたいなので、私の作ったおかずで体調を壊されても困るので)

 

 

 

次の日から私は急に息苦しくなるようになった。

多分、パニック障害かな

と思っていたが (姑さん事件のその前から時々あったので)

それがひどくなってきた。

顔が青ざめ、相当調子が悪くなってきた。

 

そしてそのことを旦那に言っても、

いつものことだがまったく受け入れてもらえない。

 

 

他にももう数えきれないほど書くことはあるのだが

これ以上書けない

しんどい。

 

 

 

 

 

だけど、私は一人で食べていけない。

自分で稼いで生きているわけではない。

旦那に養ってもらっているのだ

この家を建てる時など、義理両親にも相当金銭的に助けてもらっている。

 

ぬくぬくと暮らしている私は姑の苦労くらいはするのが当然なのだろうか?

還暦間近になった今になっても。

たとえ心を病んだ私であっても。

 

 

私という人間の尊厳はないのだろうか