今の日本は、サヨク作家池澤夏樹の、

世迷い言の世界に近づいているのか?


古い記事である。


問いかける言葉 東日本大震災5年(2)利他に向かう社会 幻想か:日本経済新聞https://www.nikkei.com/article/DGKKZO97832830Z20C16A2BC8000/ 


震災時、仙台に叔母が暮らしていた縁があり、東北には何度も足を運んだ。がれきの山の中を歩いていたとき、情けなくて涙が出てきた。日本人はなぜこんなところで暮らしているのだろう、と。


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サヨク作家の池澤夏樹は、

被災地を歩いていて、

「情けなくて、涙が出た」という。


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台風や地震、津波に際限なく痛めつけられ続けるという宿命は、どんな人間を作ったのか。今そこに関心が向いているという。

「日本人とは何者か」を考えているという。

そして、


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日本人は天災と復興を繰り返す長い歴史の中で「災害ずれ」してしまった人間だとも思う。

災厄に見舞われても「仕方がない」と割り切り、必死に思い詰めるより花見をしてゆったり暮らしたい。

そう考えてきたのだろう。


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「災害ずれ」とは、

なんとも、傲慢な物言いではないか。

「思い詰めるより、花見をしたい」?

冗談ではない!

そこまで日本人を貶めたいか?

と、思う。

続けて、


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震災直後はボランティアなどの利他的な動きが社会に広がり、

原発に依存するのはもうやめようという声も強かった。

これを機に世の中が変わるのではないかという思いがあったが、結局、すべて元に戻ってしまったように私には見える。

社会をよりよくしたいというあの雰囲気は、結局、災害時だけのユートピア幻想にすぎなかったのか。


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ボランティアなどの利他的な動き、

原発に依存するのはもうやめよう、


それが、「社会をより良くしたい」に、

どう、つながるのか?


結局この人は、

自然災害を世の中が変わるための

「罰」と受け止め、

反省しなければならない、

と、思っているのだろう。


大東亜戦争に負けたのと、

震災が一緒なのだ。

復興より原発を無くす方が先なのだ。


しかし、この記事を今取り上げたのは、

サヨク作家の池澤夏樹を

再度批判するのが目的ではない。


この度の、能登半島地震。

その報道を見ていて、

池澤夏樹の思い通りの世の中に

なってきてしまったのでは、

ないだろうか、という危惧である。


東日本大震災、とくに原発事故。

メディアの繰り返しの、

被害者(被災者ではなく)報道で、

日本人はずいぶん、

自然災害に対しても、

「被害者意識」を抱くように

なってしまったように思う。


阪神淡路大震災の頃に比べ、

救助、支援に対する「非難・批判」が、

多いように思われる。

世間が注目してくれないと、

嘆き恨む声を発する人がいる。


当時の村山政権と今の岸田政権での、

メディア報道の仕方の違いもあるだろう。


日本人の心根が、

サヨク作家の池澤夏樹が思うような

方向に捻じ曲げられてきたのでは、

ないだろうか?