保守ですが何か?

「ゆるキャラ」というものがあります(います?)。


多くは「ご当地」の名産や名所をPRするキャラクター。

これが本来のこうした「広報」とは離れて、

「ゆるキャラ」自体が人気を得て、

アイドル化しています。


「ゆるキャラ」人気というのは「癒し」だそうです。

ストレスに溢れる現代人が「癒し」を求めて、

「ゆるキャラ」にあつまる。


私が学生の頃に<「甘え」構造 >という、

日本人論がありましたが、本書は

「義理人情」「恥」など、西洋にない日本特有の観念から、

「甘え」ということをキーワードに日本人論を展開しました。


ここでいう「甘え」とは、

「甘やかし」とか「甘ったれ」とは別です。

たとえば、今年の大河ドラマで話題になっている、

「会津什の掟」の「ならぬことはならぬ」。

ああいうものが大前提にあります。


「自分は子供だから許してもらえる」、

でも、「何でも」許してもらえるわけではないのです。

社会の「タガ」がゆるんでしまっては、「甘え」ではなく、

甘ったれ、甘やかしなのです。


その辺は「甘えの構造」の読者にも誤解があり、

戦後左翼日本卑下論者は鬼の首を取ったように、

だから「甘えの構造の日本はダメなんだ。」と言いますが、

単に読み込みが浅いだけです。


付け加えれば、「縦社会」とか「ムラ社会」と重ねて、

日本文化叩きをする人もいますがそれも同じく、

叩くための理論です。


「甘え」は「なんでもいいよいいよ」ではありません。

それは単なる「甘やかし」です。


「ゆるキャラ」による集客で地域に活力を呼び込む。

イベントで癒され笑顔になっている家族をみて、

仕事を頑張るお父さん。

マーケティングして、ターゲットを決めて云々という、

直球勝負ではなく、イメージをまず挙げて、

人に集まってもらう、商売はそれから。

そうやってスタートした「ゆるキャラ」なのに、

この「甘やかし」が目的になっていないでしょうか?


許しと癒し、そんなものと一緒になって、自らが

「ゆるキャラ」化し、ふにゃふにゃとなって行く。

これは一種の「デフレ」現象かもしれません。


考えれば、民主党は「ゆるキャラ」でした。


裏では「国家解体」を画策しながら、

表づらはふにゃふにゃの「ゆるキャラ」

なんでもいいよーー

子供手当配りますよ、

ガソリン下げますよ、

日本が変わるよーー


それが民主党でした。


そしてそれが「デフレ」でした。


後ろ向きの負け犬日本。


デフレの象徴が民主党「ゆるキャラ」政治でした。