昭和20年8月15日、日本は敗戦を迎えます。
その2年後の昭和22年に製造された自転車があります。
「十字号」といいます。
材質は「ジュラルミン」!!です。
作ったのは「三菱重工」。
設計者は、大東亜戦争中に、日本の航空技術が
欧米と同等レベルに達したことを示した、
九六式陸上攻撃機などを設計した、「本庄季郎」氏です。
本庄季郎氏とその開発チームは、設計コンセプトを決め、
十字のブランドマーク(!)すらも作って、
スタートしました。
その、コンセプトは以下のようなものでした。
(雑誌’自然’自転車の強度-本庄季郎筆)
1)軽合金の厚板を主材とする。
2)従来の溶接を出来るだけ減らし、
プレス作業を採用する。
3)機能を向上させながら工作の簡易化、
工程、材料の節約を計る。
4)分解、組み立て、手入れ、取り扱いの簡易化。
これらを満足させて、日本人の体型に合わせて、
克つ世界に誇れる新しいスタイルの
自転車を作るということを目標とした。
これを、「敗戦により焦土と化した」
「食べる物もろくにない」時に作ろうとし、
実際に作ってしまった。
そして、出来たものは当然性能が良く、
レースなどにも使われ、
大阪・東京間600キロレース
(昭和22年から2回行われた!!)
で優秀な成績を残したという。
この「十字号」の紹介 は載っているが、
レースに関する記述はない。
このホームページ上では、
三菱重工の「平和産業への転換の為」と記載しているが、
この「十字号」の開発には、戦後GHQにより、
航空機の開発・製造を禁じられた三菱重工の、
その航空力学、材料工学が風化・陳腐化することへの危惧が
当然あっただろうと思う。
そして、その成果であるレースなどの記録がないのも、
「国威発揚」等の検閲に引っかかり、残っていないのだろう。
大阪をスタートしてゴールは「皇居」
航空機製造技術を生かした「三菱重工」の自転車が活躍。
報道できないかもしれませんね。
ネットで探しても何も出てきません。
かろうじて、
というものがヒットしました。
ちょっと違うんでないの?という気がします。
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この「十字号」を生んだ、敗戦直後の日本の国力というのは、
一体どのようだったのだろうか。
大東亜戦争は「無謀」な戦争で、最初から勝ち目は無かった。
戦後、朝鮮特需によってようやく、
日本は先進国の仲間入りの基礎を固めた。
先進国に追いつくには数十年かかる。
本当でしょうか?
何か情報が抜けていないですか?
64年前に作られた「十字号」の洗練されたフォルムを見て、
そうした疑問が湧いてくるのです。
三菱重工「十字号」
その技術を伝承しようとする「匠」の魂が、
「戦後レジーム」のベールの向こうから、何かを訴えている。
そんな気がするのですが。