少し前なら、なぜ人の死をSNSに投稿する必要があるのだろう?
なんて思っていただろう。

でも今なら少し分かる。

どうする事もできないやるせなさだったり、何かに残しておかないといけない焦りだったりが急に出てくるのだ。

俺が、そして夕張源太ではない彼がこの1年で帰省を頻繁にしていたのは他でもない親父の為だった。

もってあと1年でしょうね。

そんな言葉が知らない間に告げられていた。

元来、酒が何よりも大好きだった親父。
仕事を終えて家に帰ると晩酌をしながらテレビを見る
休みの日は昼間から飲む事だってある。
出張で大阪に行った時、酔っ払いすぎて側溝に落ちて骨折し人工関節を入れるくらいの酒飲みだ。

そんな親父は俺が中学の頃、肝臓を壊した。
そりゃそうだ。
あれだけ飲んでれば身体もおかしくなる。

薬をもらい治療をしていたが、そのうち飲まなくなり
それでも酒をやめることはなかった。

ほんとにどうしようもないな…なんて思った事もある。

時は流れその宣告をされたのが一昨年だった。

でも帰省してもいつも通りの親父だった。

なんだ、全然元気じゃん。
そう思っていた。

しかし親父が入院する事になる。
そこから急激に弱り出していった。

身体がでかくて、絶対に逆らえない。
そんな親父がみるみる細くなり、だんだんと元気がなくなっていく。

去年帰省した時は息をするのでさえしんどそうだった。
常に横になっていて、気晴らしに出かけても車の中から出ようともしなかった。

それくらい苦しそうだった。

昔ながらの親父って感じで、酒とタバコが好きで、昔は殴られた事もある。

そんな親父が苦しそうにしている。
確実に死に向っていた。

去年の3月 
姉ちゃんの計らいで思い出作りをしようとして、俺たち家族、姉ちゃん兄ちゃんの子供たちと定山渓に行った。

その時も食は細かったがまだまだ軽口を叩けるほど元気だった。
弱る前に行っておいて良かったな。と思えた。

もう、思い出作りなんてできない。
あとは待つことしか出来なかった。

俺たちは温泉に行くのが好きだった。
そんな立派な温泉なんかじゃなく、地元の 近場の温泉によく行っていた。

少し体調が良くなった時に温泉に行った。
服を脱いだ親父の身体はとても直視できるような身体じゃなかった。

手足が痩せ細り、肝臓が悪いので身体中に発疹ができる。

俺はなんだか急激に怖くなった。
親父を受け止めきれなかった。
涙が溢れ出そうになった。

身体は風呂で綺麗さっぱりになっても頭の中は本当に真っ黒だった。

そんな中、北海道ツアーが開催された。

一昨年の恵庭大会はちょうど親父が入院して見に来れなかった。

今年しかない… どうしても来て欲しい。
そんな思いを家族は汲み取ってくれたのか、家族全員で苫小牧大会を見に来てくれた。

俺が今全力でやっている事。
何か活力にしてくれたら良いなって思ってた。

俺としてはもっと頑張れたんじゃないかって、今でも後悔している。

俺が相手をぶん殴って、ぶん投げて、勝ち名乗りを上げている姿を見せたかった。

でもいつもは眠そうにしている親父が第一試合から食い入る様に試合を見てたらしい。

なんか自分のプロレスを初めて誇らしく思えた。

11月、いよいよ危ない状態だと連絡が来た。
迷う事なく帰省した。

前に会った時よりもっともっと弱っている
会話はできるけど、ボケーってしている。

外の景色が見たいからベッドの向きを変えてくれと言われた。
何か本当に終わっていく様な気がしてあまり喋る事が出来なかった。

でも、なんとか会話した。

「九州ツアーがあるんだ、ベルトに挑戦する
必ず巻いて帰ってくる。
待っててくれ。」

たったこれだけの事。

「じゃあ帰るね」

「おぅ、ありがとうなレスラー」

これが親父との最後の会話。

結果俺はベルトを巻く事が出来なかった。

親父もちょうどその時、また危ない状態だった。
でもなんとか持ち堪えた。

ギブアップもせずカウント2.9で返した。

俺はカウント2.9で返せなかった

親父よりも元気な俺が負けた
約束を守る事が出来なかった。

親父は年が明け1.17に眠りについた。
もって1年ですなんて言われていたけどなんだかんだ2年近く頑張った。

親父が亡くなった日、不思議なもので外を歩いていると北海道の匂いがした。

よく言う冬の匂いとは違う、俺が小さい頃に嗅いでいた匂い
懐かしい匂いがした。

なにか知らせてくれたのかな。

地元に帰り、親父の顔を見る。

すごく痩せていた。
でも本当に寝てる様だった。
声をかけたら目を覚ましそうなくらいに。

悲しかった。なぜか涙は溢れてこなかった。

お通夜、色んな人が来ていた。
なんだかんだで親父は愛されていたんだ

家族親戚と棺の中にいる親父と夜を明かした。

なんども親父の顔を見た 
それでも涙は溢れてこなかった。

出棺の時、
花、恵庭大会 苫小牧大会のチケット、親父宛てに書いたサイン、みんなで撮った写真。
それらを棺の中に入れた。
少しだけ、ほんの少しだけ親父に触れた。
とても冷たかった。

本当に死んだんだ。
それでも涙は溢れてこなかった。

最後のお別れ
本当に最後のお別れ 

次会う時にはもう形がない。
親父かどうかも分からない。

改めて最後に親父の顔を見た。
もう2度と見れないのに少ししか見れなかった。
それでも涙は溢れてこなかった。

火葬を待つ間、弁当を食べながら家族と話していた。

あージジババが亡くなった時もこんな感じだったなーと昔を思い出しながら
ふとした瞬間に

あれ?親父いないけどトイレかな?
どこいったんだべ。
と何度も思った。

あ…親父は死んだんだ…
って再確認した。

どうやら受け止めきれてなかったようだ。

火葬が終わって人から物になった。

骨太だったらしく全部骨壺に入りきらない。
木箱の隅に入れた。

あれだけ痩せていた親父が嘘みたいだった。

最後の最後まで親父は親父だった。

実家に戻り親父の物の整理だったり掃除をした。
姉ちゃんと兄ちゃんがめちゃくちゃ頑張ってた
俺はそこそこ頑張った。

ある程度片付いて実家でゆっくりしていた。

車を走らせ、よく行くスーパー銭湯に向かう

汗を流して帰路に着く。

道中ふと、親父の好きだったみのや雅彦の曲を流してみた。

よく日曜の休みにラジオ聴きながら出かけたなあーって思い出した。

なぜか涙が溢れてきた。
顔を見た時でもなく、お通夜 葬儀 出棺の時にすら涙は出なかったのに一気に、泣いた。

1人だったからなのか、止まらない。

俺はやっと親父の死を受け入れられたのかもしれない。

それでも本当に死んだのかなって思う

出張に行ってるとかそんな感じ

俺が千葉にいる間に色んなことがあったんだろう。
だから実感が湧かないんだよな。


俺はレスラー。
この思いも背負ってこれからも闘う。

おとう!
必ずベルト巻いて帰るよ
今度はゆっくり待てるんだよな。
でも俺は待たせない。
すぐにでもベルト取っておとうに見せるぜ
そして地元、長沼で試合してみんなにすげぇって思わせてやる。
それが最後にできる親孝行だよな。
今度は約束守るぞ