先日、横須賀市の三笠公園に立ち寄りました。

三笠公園には日露戦争の時に大活躍した東郷平八郎連合艦隊司令長官の銅像や、

 

大日本帝国海軍の戦艦「三笠」が記念艦として今でも保存・公開されていることが広く知られています。

日露戦争はロシアの極東進出によって存亡の危機に立たされた我が国が、心身を尽くして戦った防衛戦です。

 

戦艦「三笠」は当時最新鋭の戦艦で、日本海海戦において東郷平八郎連合艦隊司令長官が乗艦する旗艦として対馬沖でロシアのバルチック艦隊を迎え撃ち、

 

常に連合艦隊の先頭に立ち敵艦の集中砲火を浴びながらも戦い抜き、圧倒的な勝利を収めました。

 

これにより戦局は終結に向かい、ポーツマス条約により両国の講和が結ばれました。

 

戦艦「三笠」が日本を歴史的な大勝利に導いたことは、我が国の存立に大きく寄与しました。

 

今日では、戦艦「三笠」は世界海事遺産賞を受賞し、「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」にも掲載され、世界三大記念艦の一つに数えられています。

また東郷平八郎は「TIME」紙の表紙に初めて登場した日本人です。

 

現在でも日露戦争の連合艦隊司令長官としてよく知られている東郷平八郎ですが、青年期はあまり有名ではありません。

 

しかし、無口で寡黙の人であったことや、海軍史上最も「運」が良い男であったことで知られています。

 

連合艦隊司令長官に任命されるにあたり海軍大臣である山本権兵衛が明治天皇に「東郷ほど運のいい男はいない」と説明した程です。

 

東郷平八郎の青年期は明治維新の最中にあり、当時から「運」の良さが見受けられます。

 

日本史上初の海戦は、「薩摩」対「幕府」の倒幕戦で、日本人同士の戦いでした。

 

坂本龍馬がいたことで有名な神戸海軍塾で学んだ東郷平八郎は、

 

慶応4年(1868年)鳥羽伏見の戦いの中、23歳の時、薩摩藩の「春日丸」の左舷甲板砲手として四国阿波沖の海戦に参加しています。

 

対する幕府軍は榎本武揚を艦長とする当時世界最新鋭の「開陽丸」。

 

東郷が砲手を務める薩摩の「春日丸」と幕府艦隊である榎本艦隊の「開陽丸」が1200メートルまで接近した時、「開陽丸」は13門ある右舷砲を一斉射撃。

 

100発以上撃つも「春日丸」には1発も当たらず、一方、「春日丸」は38発放ち、左舷甲板の砲兵である東郷の3発が全弾命中したそうです。

 

また、明治2年(1869年)戊辰戦争の宮古湾海戦では、土方歳三が乗船する旧幕府軍の新鋭艦「回天丸」が騙し討ちのためアメリカ国旗を掲げて宮古湾停泊中の新政府軍艦艇を奇襲し、接舷し斬り込み、艦船を奪う予定でしたが、

海戦となり、

これまた新政府軍の「春日丸」に乗船していた若き日の東郷平八郎が左舷甲板より砲を放ち、全弾命中し、土方歳三らは「引け」と命じ敗走しました。

 

幼少期より小さな争いは避け「そんなことで自分の運は使いたくない」と発言している東郷平八郎は「運」を引き寄せる天武でもあったのではないかと思ってしまいます。

 

勿論、圧倒的な努力家である東郷平八郎はその後、当時退役が近い57歳で連合艦隊司令長官に任じられ、日露戦争を勝利に導くのですが、

人間の刹那である「努力は勝率を上げるが成功を保障しない」ことを幼少期より悟っているように感じます。

 

もしかしたら努力の向こう側にある「運」が何なのか知っていたのかもしれませんね。

 

横須賀の三笠公園では今でも戦艦「三笠」が鎮座し、その内部を博物館として活用しており、当時のことを現代に伝えてくれています。

 

入館料は600円です。

 

駐車場「ピポ320」に駐車し三笠に入館しスタンプをもらうと、駐車料金が減額されます。

 

記念艦「みかさ」は約120年前のご先祖様や曽祖父・祖父時代の多くの人々が関わった当時の時代に触れられ、この時代に改めて思いを馳せれる貴重な歴史遺産だと思いますし、

 

この歴史ある「三笠」を大正15年(1926年)からこの地に保存するために尽力された先人に感謝いたします。

 

今回が2度目の訪問でしたが、新たに多くのことを気が付かせてもらいました。

 

今回私は1時間半しか滞在できませんでしたが、是非とも一日滞在し全ての展示物をじっくり読み、

当時の方々に思いを馳せながら、今日の有り難みや、次世代の進む道を感じたく思いました。

 

 

 

日露戦争の日本海海戦の有名な史実に、東郷平八郎連合艦隊司令長官は戦艦「三笠」にアルファベットの最後の文字であるZの「Z旗」を掲揚し、

 

全軍に「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」と示しました。

本年、新型コロナウィルスの影響で人々の生活は様変わりし、

イベントや年中行事が中止され、

人々は様々な不安ごとに忙殺され、

加速する報道の影響なのか人に対する寛容さが失われ、

何かを見つけては人を責め、

日本人同士ですらギスギスしているように感じます。

 

「各員一層奮励努力せよ」とは今なのかもしれないと思う日でした。