先週のことですが、私の初代後援会長をつとめてくださった今井康子さんの葬儀がありました。

普段このようなことはブログに書かないのですが、将来にわたり忘れたくない思いがありましたのでここに記したく思います。

今井さんはPTA会長、玉川学園町内会長を歴任し、高齢者福祉センター「桜実会」を立ち上げた地域福祉の創設者です。

玉川学園町内会は、町田市内で310ある町内会・自治会の中でも、最大の加入世帯数(約4000世帯)の町内会です。

市内でNPO法人第1号となった、特定非営利活動法人「桜実会」は玉川学園・南大谷地区の高齢者や障害者の福祉施設で、今では地域に無くてはならないものになりました。

今井さんが玉川学園の町内会長を務めていた1986年から1990年の当時は、女性が中心となり大変活発に町内会活動がなされていました。

当時から現在のような高齢社会を見据え、

『誰でも住み慣れた町で老後も健やかに明るく過ごせる地域』を目指し活動されてきました。

玉川学園3丁目にあった都営住宅建て替えの際、その地のより有効的な利活用を住民の皆様と考え、

1995年(平成7)  高齢者サービスセンター設置を目指し、
「建設促進住民の会」や「準備会」を発足されました。

1997年(平成9)「介護保険法制定」を福祉サービスの大きな転換点と捉え、その後発生するであろう地域の課題を真っ先に読みとき、

『福祉サービスを住民自治として考える時代がやってきた』との考えにまで到達し、更に運動を加速化させてきました。

活動資金捻出のため、町内や商店街の皆様と一致団結し、それぞれ自宅から様々な物を持ち寄り、玉川学園の夏祭りでバザーを開催し、目標であった120万円を売り上げ、全員で万歳三唱したお話を多くの方々からもお聞きしました。

市議会に請願するのみならず、東京都庁へ町田市の助役と共に要望活動を繰り返し行うという、議員顔負けの活動をしたことにより、地域の福祉施設「桜実会」が「公設民営」で誕生しました。

当時では存在しなかった「指定管理者制度」と言える方法を紡ぎだし、

新たに「住民参加型福祉」の概念を創出し、地域に根差した地域が支える介護サービスを実践され、地域の皆様に貢献されてこられたことを思うと本当に頭が下がります。

また、今井さんは我々消防団を地域防災の要としてとても大切に扱ってくださいました。

入団したばかりの新入団員にまで、心からの労いの一言をいつもかけてくださり、その一言で奮起し団活動に精励し、その後の人生を見つけた若者も多くいます。

2009年(平成21)
私が市議会に立候補するにあたり、後援会の会長、会計責任者、事務局長は必須事項でした。

まず最初に後援会長を受けてくださる方を見つけないといけないのですが、

後援会長は、もし不祥事の発覚や選挙戦での事故などが発生してしまった場合、
真っ先に事情聴取される責任者です。

私はこの地で永年続く由緒正しい名家の出というわけでもないのでリスクが高いと思われたのか、
なかなか受け手がいない状況でした。

そんな時期に元商店街長であった浅井さんが改めて今井さんに引き合わせてくださいました。

今井さんはそれまでの私の消防団や地域に取り組む姿勢を見ていてくださり、快く引き受けてくださいました。

当選に向け、私の乗り心地の悪かったポンコツジムニーに朝から飛び乗り、連日夕方まで一緒に挨拶回りをしてくださいました。

立候補するということは、それまでの生活を捨て、どんなに罵倒されようが、改めて地域の希望希求する人材となる覚悟が必要です。

当時の今井さんの口癖は、

「厳ちゃん!やるっきゃない!」でした。
どれだけ励まされたことかわかりません。

今井さんはどんな時でも相手を敬い、意図的にポジティブで、一切弱音を吐かない母なる強く賢い人です。

その言葉や行動、お姿に沢山教えていただきました。

地域への貢献を信条とする今井さんは高齢者福祉センター「桜実会」をはじめ、多くの実績をこの世に残してくださいました。

私もその足跡の1つとして今井さんの誇りになれるよう精進したく思います。

本当にありがとうございました。

今井さんは、同じく地域貢献に生き、先に天寿を全うされた、幼児教育の第一人者の玉川中央幼稚園の初代理事長 林 富 先生のことが大好きで尊敬していました。

きっと今頃二人で楽しくお話していると思います

今井さんをはじめ多くの方々の心血が注がれたお陰で、
先導的に地域の高齢者福祉センター「桜実会」が設立され、更に住み良い地域になったことが、この地域の皆様に忘れられないよう、活動していきたく思います。

この写真は林先生が天皇陛下から藍綬褒章を賜り、今井さんとご挨拶に伺った時の思い出深い気に入ってる写真です。