山梨県立美術館を後に、長野県川上村にきました。

 

 

こちらでは藤原忠彦 川上村長から『内発力は逆境を順境に変える!』とのタイトルで講義していただきました。

 

 

 

川上村は人口4059人、日本一長い千曲川の源流の村で、面積の89%が森です。

 

標高1100m~1500mに位置する立地条件を活かし、レタス、白菜などの高原野菜を中心に発展してきました。

 

特にレタスは日本一の生産量を誇り、年間73763トン出荷されています。

 

平成17年から海外に輸出しています。

 

農家の後継者平均年齢は29歳と大変若いです。

 

川上村はかつて大変貧しい村で、村民は鞍の無い裸馬に股がり、1年のうち8ヶ月も出稼ぎに出なくてならないような村でした。

 

明治時代には信州唐松の育苗技術を確立し原産地として世界に輸出し生活していました。

 

その後唐松の需要が下がると、それまでの稗、粟、ジャガイモしか出来なかった農業を、高地を利用した高原野菜の栽培に変更してきました。

 

真夏では国内でレタス等は栽培出来ませんが、川上村は特異な気候であるため、朝鮮戦争時に米軍にレタスを卸してきたのが、今日の発展のきっかけだそうです。

 

現在では良質なレタスを安定的に大量に市場に供給し続け、
各農家の所得も平均年収2500万円と相当高いですので、
後継者が都心から帰って来て農業を継ぐようになってます。

 

今では国内で一番裕福な農家があるのが川上村だと思います。

 

川上村長はこれらの地域特長をよく考えて、これからの地域づくりキーワードとして、
『衣食住』は『個人の努力』

 

行政は『情報』と『交通・高齢化・交流』に特化していこう!と考えました。

 

情報として川上村では日本ではじめて村営テレビを開設し、
農家の方々が求めるより詳しい野菜の市況情報・気象情報を提供し、
生産の効率化や農業の戦略化を実践しています。

 

交通としましては、公共交通であるバスを赤字で走らせるわけにはいかないので、
スクールバスを通常の乗り合いバスにしました。

 

これは私も以前一般質問してますので、法律的に大変難しく不可能に近いことを知ってますので、村長のバイタリティーで成し遂げたのだなと思いました。

 

これは日本で初めて住民がスクールバスを利用した成功事例です。

 

岩盤のような規制を独自に勉強し、県の教育委員に訴え続け、改革してこられた情熱に頭が下がります。

 

高齢化については、川上村を支えてこられた高齢者を大切にしたい思いから、活気のある『ヘルシーパーク構想』を現実にし、

現在厚生労働省が推奨している施策を全国に先駆けて実現し、

 

元気なお年寄りが増えて、村の医療費の削減に繋げ、
県内一低い医療費となっています。

 

交流としては、若い世代の夫婦に住宅を提供しています。

 

それは7割りの新妻さんが都市部から来ることから、まず若いうちは川上村に慣れるようにとの気持ちからです。

 

因みに川上村の農業後継者の70%が大卒です。

 

川上村は今年、沖縄の恩納村と姉妹提携し、冬の野菜栽培に力を開始したり、
ベトナムの国家主席と交流し、冬の野菜栽培のアドバイスし現地のスーパーにレタスを並べたり、しています。

 

農業留学生も海外から多く川上村に来ており、現在では4000人の村に1000人近い留学生が来ています。

 

藤原村長は三風の原則(風土・風習・風味)を大切にし、地域には、その地域にあった取り組みがあるとの信念の元、
『行政に哲学が求められる時代』
『行政はアートである』
『人を作っていく事が大切だ』

 

『逆境が人を作り、産業を生み出し、人が人を支え、挑戦が人をたくましくする』

 

と熱く教えて頂きました。

 

情熱的でバイタリティーあふれる行政手腕に大変勉強させて頂きました。

 

ありがとうございました!