こんにちは!
渡辺厳太郎です。
昨日は、下田市の福井祐輔 市長にお越しいただき、町田郷友会 主催のもと講演会がありました。
福井 下田市長は大変ユニークな経歴な持ち主で、防衛大学を卒業後、陸上自衛隊幕僚監部まで登り詰め、更には防衛大学の教授を務められた方です。
退官後に町田市で10年間生活をされ、昨年故郷の友人達の勧めもあり、下田市の市長に立候補され、無事に初当選をはたされました。
自衛隊の幕僚監部時代、
平成4年6月19日に改正された国際平和協力法(PKO法)に基づき、第1次カンボジアPKO国際平和協力隊長
兼 、停戦監視員としてカンボジアへ駐屯されました。
当時は宮澤喜一内閣で、牛歩戦術が国会で話題になったPKO法案です。
6月に法改正され、わずか3カ月後の9月23日の出国だったそうで、
当時の六本木の防衛庁を出発する時、正門はデモが激しかった為、東門からひっそりと出発したそうです。
カンボジアの現地には停戦監視員8名の長としていち早く入国し、2週間後にカンボジア入りする施設大隊600名を指揮しました。
陸上自衛隊施設大隊は、内戦で荒廃した道路や橋の修復、さらにはUNTAC構成部隊に対する給油・給水、医療・宿泊施設の提供、物資等の輸送・保管など、幅広く活躍しました。
カンボジアは当時、知識人を中心に300万人を虐殺し、中国が支援している
ポル・ポト派と
プノンペン政権との内戦で
酷く疲弊し、混乱の中でした。
さらに自衛隊は『警察官職務執行法上』の限られた武器使用で停戦状態を維持しなくてはならず、並々ならぬ御苦労があったようです。
カンボジアに派遣されたPKO全32ヵ国中、武器使用制限があるのは日本だけで、フランスの軍隊に随分不思議がられたそうです。
様々な御経験をされた福井 さんは、生まれ故郷の下田市長となって、人口減に対し、
市民の働く場の提供のため法人税の優遇税制度を確立したり、
子育て支援策として、義務教育期間中の医療費の無料化をしたり、
休耕田のオリーブ畑化をしたり、
と矢継ぎ早に行動されています。
下田市民の3次救急医療の促進の為、伊豆縦貫道の早期全線開通を目指し国にも日々赴いています。
交通政策としてだけではなく伊豆縦貫道は市民の『命を守る道』としてとらえている姿に、
『さすが、あの混乱のカンボジアの道路や橋梁を修復し、カンボジアの平和を取り戻す一翼を担った方だな』
と思いました。
また下田市は黒船で有名なアメリカのペリー提督やロシアのプチャーチン提督が訪れ、日米和親条約や日露和親条約の締結後、下田港が開港され、日本初のアメリカ領事館が開かれた地で、
日本の外交の出発点です。
今年の5月19日20日21日は、下田市最大のお祭り
『黒船祭』が開催されます。
黒船祭とは下田開港につくした内外の先賢の偉業をたたえ、併せて世界平和と国際親善に寄与するため、昭和9年(1934年)に始まった祭りです。
黒船祭は幕末時代にタイムスリップする三日間で、
下田条約の調印式の再現がされます。
墓前祭や記念式典が厳かに行われる一方で、
アメリカ第7艦隊と海上自衛隊の艦艇が来航し、
市内を日米両国の音楽隊がパレードをしたり、
海上花火大会があったりします。
下田市の観光施か策には町田市には無いものが多く、大変興味があるので注目したいと思っています。