こんにちは!渡辺厳太郎です。

2年前に会派の視察で訪れた北海道根室市でのレポートを再度アップしてみたいと思います。長文になりますがどうぞお読みください。

 

2014年7月9日 

会派視察報告書

作成者 渡辺 厳太郎

 

2014年7月9日《水曜日》に北方領土の視察を行うべく、北海道の根室市にある北方館と望郷の家、根室市役所を訪れました。

北方領土と呼ばれているものは歯舞群島(多楽島、志発島、勇留島、秋勇留島、水晶島、貝殻島など)の色丹島、国後島、択捉島の4島です。


その面積は国後島では沖縄本島より大きく、沖縄県全体とほぼ同じ面積で、奄美大島の約二倍の大きさの1499平方キロメートル。


択捉島は鳥取県とほぼ同じ面積の3184平方キロメートル。


色丹島は徳之島とほぼ同じ面積の253平方キロメートル。


歯舞群島は小笠原諸島とほぼ同じ面積の100平方キロメートル。


その合計面積は5039平方キロメートルとかなり広大な面積であります。


これらの島々は我々日本人の祖先が開拓してきた、日本固有の領土です。


4島に関しては既に1799年当時の幕府が島人真に常設の番所を置き実際にこれを統治してきましたし、ロシアの実効支配が及んだ事が一度もありませんでした。


歴史背景から見ますと、日本が北方の島々の事を知ったのは今から360年以上も前の事で、松前藩の「新羅の記録」によって記録されています。


1644年に幕府は地図である「正保日本国図」を編纂するために諸藩に藩の勢力図の「国絵図」の提出を命じました。


この時松前藩が幕府に提出した松前藩領の地図には「クナシリ」「エトロホ」などの39の島々が記されております。


 ロシア人が初めて千島を探索したのが1711年の事ですから、その100年も前から日本は北方の島々と関わりがあったのです。
また1721年にロシアの探検隊が作成した地図には北方の島々がロシア語で「オストロワ・アポンスキヤ」=「日本の島々」と明記されています。


このように北方領土は日本のみの支配下にあった事は明確であり、日本古来の領土であることは紛れのない事実であります。


1855年2月7日に下田で締結された「日露通好条約」では両国の国境を択捉島とウルップ島の間に定め、ウルップ島以北の千島列島の島々をロシア領、択捉島以南を日本領と定め、樺太の地を両国民混在の地としました。


これにより歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の北方四島は日本の領土であると法的に認められました。


1875年に締結された樺太千島交換条約では、千島列島をロシアから譲り受ける代わりに、樺太全体の権利を放棄しました。


この第2条で「譲り受ける千島列島としてシュムシュ島からウルップ島までの18島」としているところからも解るように、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島はこの時にロシアから譲り受けた千島列島にあたらない事を明確に物語っています。


太平洋戦争の末期の1945年米軍が沖縄を占領し、日本の戦局が不利な状況になり8月15日の終戦をむかえる直前の8月8日、ソ連は当時有効であった日ソ中立条約を一方的に破棄し日本に宣戦布告をし、翌8月9日にソ連軍は満州、樺太方面に進撃を開始しました。


8月15日の終戦の日よりも3日も後の8月18日からソ連軍は砲撃とともに千島列島の北端に上陸を開始し、8月23日の局地停戦協定の締結まで自衛の為に応戦した日本軍との局地戦が繰り広げられました。


以後、ソ連軍は島づたいに南下し、ウルップ島まで来ましたが、現在北方領土と呼ばれている択捉島以南の島には進行せず北に引き返しました。


このことは当時ソ連もはっきりと千島列島をウルップ島以北と考えていたために、択捉島以南の島々を日本古来の領土としていた事をあらわしています。


しかしその後、樺太に駐留していたソ連軍の別動隊は択捉島以南にアメリカ軍が進駐しない事を知り、8月28日に突如択捉島に進軍し、9月1日色丹島、9月2日に国後島、多楽島、志発島、9月3日に勇留島、水晶島、に上陸し9月5日には北方領土の占領を終了しました。


島民の一部は夜陰に乗じ小舟にて北海道に脱出しましたが、行方不明になるものも多く、また多くの島民は捕えられ、苦しい抑留生活や強制労働の後、生き残った者は日本本土に引き上げる事が出来ました。


戦後、1951年9月8日に戦勝国である連合国と締結されたサンフランシスコ平和条約では、日本はウルップ島以北と樺太の一部の権利を放棄しましたが、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の北方四島は含まれていません。


ソ連がサンフランシスコ平和条約の署名を拒否した事から1956年10月19日「日ソ共同宣言」が署名され国交の回復が図られました。


この平和条約の締結にあたり、ソ連は歯舞群島、色丹島については日本に返還すると約束しましたが、国後島、択捉島については最後まで意見の一致をみる事が無かった為、「松本・グロムイコ書簡」で領土問題を含む平和条約交渉は、正常な外交関係が再開された後に継続するとの合意形成がされました。

 

つまり国際法に照らし合わせても、わが国固有の領土である北方領土である歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の四島は今まで一度も外国の「領土」となった事のない地で、終戦後のどさくさに突如ソ連軍に占拠され、戦後69年を経た今日でも未だにロシアによって不法に占拠されたままになっている。

個別に見ていくと、歯舞群島は貝殻島、水晶島、秋勇留島、勇留島、志発島、多楽島などの島々からなり、貝殻島は根室市最東端の納沙布岬から3.7キロの距離にあり岬からもよく見える距離にありますが、先月もこの島の近くで日本の漁船がロシアの警備艇に銃撃される事件がありました。


歯舞群島は根室市の旧歯舞村の一部で、終戦当時は852世帯、5281人の日本人が居住し生活していました。


歯舞群島は今現在も根室市の行政区でありますが、現在はロシアの警備隊が不法駐留しているだけの島で、ロシアの民間人ですら住んではいません。


貝殻島ではロシア側が日本の漁師に入漁料をとって操業させたりしていますが、この島の灯台は消えたままで、ロシア側に修復の要請をしても現在消灯したままです。


 色丹島は納沙布岬沖合73キロに位置し、現在ロシア人が居住し、南クルリ地区の行政区とされています。 


 国後島は納沙布岬沖合37キロに位置し、岬からもはっきり肉眼で確認出来る大きな島で、北方領土では択捉島に次ぐ面積を有し、現在はロシア人が7つの村に居住しています。


 択捉島は北方領土では一番に大きい島で、納沙布岬沖合144キロに位置し、長さ203km、幅30kmの島で、1500メートルクラスの活火山、休火山が7つもあり、現在はサハリン州のクルリ地区の行政区の扱いとなっています。


 戦前の北方四島には17,000人の日本人が生活を営んでいました。
戦後70年をむかえる今日、現在のロシア住民は季節労働者として16,000人です。


戦後、国後島には友好の家が建設されたり、ビザなし交流を通じて平和的に領土問題を解決しようとしてきたりしました。


しかし報道等を見ますとロシアのプーチン大統領を始めとする、強硬な外交手段によって北方領土の返還には未だ遠い道のりのように感じます。


ロシアは北方領土にレーダー基地や飛行場、道路の建設を打ち出し、支配を強めるような報道を見てきましたが、根室を訪れ、実際にここで起きている事を視察し、色々な方のご意見を伺うにつれ、少し感覚が違う事に気がつきました。


例えば、レーダー基地に関しては高台で遮蔽物が無いところでしか機能しないにもかかわらず、コンクリートの建物の真横に低地にレーダードームを作ったりしていまして、これではただの張りぼてでまるで機能しない点や、飛行場の滑走路はその距離の短さからまるで離着陸に適さない点や、道路建設としましても、やっと最近着工し北朝鮮の労働者で、韓国の資機材でやっと一本通しただけの点などを見るに、はたして本当にロシアが北方領土について支配力を強めようとしているとは到底考えられないのです。


ビザなし交流で日本から「エトピリカ」という舟に乗って北方領土に元の住人が墓参りに行ったりしていますが、現実は護岸工事もされていなく、小型のボートに乗り移りは、しけを使わないと上陸すら出来ない整備状況です。


また以前、日本人が生活していた時は井戸で飲み水も整備していましたが、現在の北方領土では季節労働者のロシア人が何でもかんでもゴミを投棄してしまうために、飲み水にも事欠く状況です。


インフラ整備の最初に取り掛かるべき「飲料水」に関してですらこの有様です。
この状況は「日本とロシアの文化の違い」の一言だけで、あらわせるものではないと思います。


現在の状況を一見すると、ロシアが北方領土の支配を形だけ強化しているように見えますが、現在でも納沙布岬沖合3キロでロシアの警備船に銃撃される事件や拿捕される行為は以前と同じく発生している状況ですし、有史以来、国際法上一度も他国の領土となった事のない北方領土に日本の基本的権利が及んでいないのも実状であります。


戦後70年を超える時間的経過とともに、徐々に日本の当然の権利である北方4島の権利を他国に不当に支配されているという状況が、国民一人一人の心の中で薄れてしまっている事が危惧されます。


教科書の検定や学習指導要領等を通じ広くこの事を日本国民である町田市民に広め、忘れてはならない事実として戦後の教育の中にしっかりと受け止めなくてはならないと感じました。


この北方領土問題を歴史的、法律的事実に照らし合わせ、日本ロシアの両国の間で合意の上で作成されてきた諸文章や法の正義の原則を基礎として解決する事により、一日も早い平和条約の締結を目指し交渉を継続し、両国の関係を正常化する事を望みます。

 

 

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