遺書

此の一札、拙子上洛仕り候か、死去仕り候後に、執心申す御伝えあるべきものなり



出典 秘伝書
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山上 宗二(やまのうえ そうじ)

 

天文13年(1544年) - 天正18年4月11日(1590年5月19日)

 

)戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の豪商(町衆)、茶人。

 

屋号は薩摩、号は瓢庵。本姓は石川氏。子は山上道七。


千利休に20年間茶の湯を学んだ高弟であり、利休に同行して茶会に出席している様子が当時の茶会記から確認される。

 

茶匠としては豊臣秀吉に仕えていたが(織田信長にも仕えたという説もある)、天正12年(1584年)に理非曲直の発言で秀吉の怒りを買い、浪人する。

 

この時に前田利家に仕えるようになるが天正14年(1586年)にも再び秀吉を怒らせて高野山へ逃れ、天正16年(1588年)頃から自筆の秘伝書『山上宗二記』の写本を諸方に授けている。

 

その後は小田原に下って北条氏に仕えた。

天正18年(1590年)の秀吉の小田原征伐の際には、利休を介して秀吉との面会が叶い、秀吉が再登用しようとしたが、仕えていた北条幻庵に義理立てしたため秀吉の怒りを買い、耳と鼻を削がれた上で打ち首にされた。

 

享年46。

 

箱根湯本の早雲寺に追善碑がある。

茶道史においては、天正年間の堺衆の茶の湯の基本史料となっている『山上宗二記』(その茶湯者覚悟十躰に「一期に一度」とある)の筆者として重要である。

 

ただ利休の急激な侘びへの傾斜には戸惑いを隠さず「山を谷、西を東と茶湯の法度を破り、物を自由にす」と批判とも取れる見解を書き残している。

 

著書は、他に『茶器名物集』『茶の湯珍書』などがある。

 

 

 

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