盗賊・893・泥棒 幕末
 

 

 

辞世





あら嬉れし行く先知れぬ死出の旅








大前田 英五郎(おおまえだ えいごろう)

寛政5年(1793年) - 明治7年(1874年)2月26日

江戸時代末期に活躍した侠客。

栄五郎とも書く。本姓は田島。

大場久八、丹波屋伝兵衛と並び「上州系三親分」とも、新門辰五郎、江戸屋寅五郎と共に「関東の三五郎」とも呼ばれて恐れられた。

昭和期に好まれ、任侠ものの映画の題材とされた。




経歴

1793年、上野国大前田村(現在の群馬県前橋市宮城地区)にバクチ打ちの父・久五郎と母・きよの子として誕生。

祖父は名主も務めた家だったが、父の代に賭博を好み侠客となった。

兄・要吉もバクチ打ちであった。

英五郎15歳のとき、武蔵国仁手村の清五郎が父の縄張り内で賭場を開いたため、これを追い払った。

この際に賭場で殺傷をおこし、侠客としてしばらく諸国を流浪した。

1818年には、新里村山上にて久宮村(現在のみどり市)の侠客であった丈八と争い、丈八を殺害して逃亡した。

この結果丈八一家と対立し、和解は1833年のことである。

その後、キップのよさと腕っ節の強さから関東一の大親分として名を馳せた。

また、侠客どうしの争いを収めるのが上手く、謝礼に貰った縄張りが全国に200ヶ所以上あったといい、「和合人」と呼ばれたという。

殺人を犯し佐渡送りになるも島破りをして郷里に戻ったと伝わる。

しかしこの話は本当かはっきりしない。

この島破りで身体が不自由になったともいう。

賭場に出入りしていた若き日の初代前橋市長下村善太郎を、英五郎が戒めたという説もある。

1874年2月26日、82歳の高齢で死去。墓は前橋市大前田と同市大胡町雷電山の2ヶ所にある。