『カミルス』は不可能を可能にする。
たったひとりが世界を変える。
いや、たった「独り」だからこそ、世界を変えることができる。
ヒト、モノ、カネ、権力・・・あらゆるものが「独り」に集中するからこそ変えられる。
裏を返せば、本人も周りも協力してすべてを集中させる必要があるし、それを周りが良しとするカリスマ性も兼ね備えていなくてはいけない…
スティーブ・ジョブス・・・
彼の死は、なんだか世界の進化が100年遅くなるような気がした。
ビン・ラディン・・・
思ったより大きな混乱にならなかった。
そして、カダフィ・・・
独裁だからこそのプラスとマイナスをあらためて感じる。
独裁からうまく民主制に移行できなかったのだろうか。
たくさんの部族を、自らが敵でありつづけることで、抑制するしかなかったのだろうか。
それともいつからかそんな志とは関係なく、独裁者を謳歌していたのか・・・
そこまでのバカが、40年以上もの長きにわたり独裁政権を維持できるとは、どうしても思えないのだが・・・
彼を嬲り殺しにしてしまった新たなリーダー・・・リーダーたち?も結局は野蛮であるというイメージを世界に植え付けてしまった。
中東問題しかり、インターネットの自浄作用に期待するしかないのが現状か。
で、本題…『カミルス』
人類は何千年も「たった独り」が世界を変えてきた。
そして、その功績は、変革後、いかにスムーズに民主制に移行できたかに依っていると思う。
つまりは、民衆がいかにスムーズに独りにすべてを集中させ、いかにスムーズにすべてを奪うかということ。
古代ローマに「カミルス」という将軍がいた。
その頃のローマは、何度も敵国が攻めてきては占領され、そのたびに壊滅的な被害受けていた。
そして、そのたびに「カミルス」は全権を委任され、そして見事に敵を追い払った。
ところが、カミルスはその戦果のあと、必ずローマを追い出されるのである。
理由は、ローマ市民が過去の経験から独裁への強いアレルギーを持っていたこと。
そして、カミルスがそのアレルギー反応を見事にあおる「独りよがりぶり」を魅せたからだというのだ。
カミルスが追い出されると、それを見計らって、また敵が侵略してくる。
そして、他の将軍たちでは歯が立たず、また占領されてしまう。
市民は、また追い出したカミルスに助けを求める・・・
カミルスはといえば・・・快く引き受けて…また撃退してしまうのである。
カミルスは、本当になにも学ばない頭のおかしい男だったのだろうか?
そんな男が名将足り得ただろうか?
最初は、本当に「独裁感」や「周りの嫉妬による奸計」で追い出されたのかもしれない。
だが、途中からはきっと「自ら追い出されるように」していたのではないだろうか。
大功績をおさめ、かつ控え目にしていたら、民衆の支持は絶対的になってしまう。
そのまま実質上の独裁政権にも発展できる。
だが、彼は、自分が戦以外の才はないことを、そして誰よりも独裁政権の弊害を知っていたのではないだろうか。
戦は最終的には心理学だという。
敵の心理を巧みに操る彼だからこそ、味方同志で騙し合い、奪い合い、潰し合うことになるであろう「独裁」を受け入れられなかったのではないかと。
そして、それから数百年のち、ローマに最初の皇帝が誕生する。
自ら皇帝(独裁)を宣言したカエサル(シーザー)は、暗殺されてしった。
そのあとを、皇帝宣言はせず、ひとつひとつ実権を集めていくという大変な手間をかけて「実質的に皇帝と同じ権力を持つ」という「第1人者」という巧妙な策による皇帝が誕生する。
皇帝オクタビアヌスだ。
そのときのローマはなんとしても独裁政権をしかない限り、民主制の悪い面が溜りに溜り、崩壊への道を辿っている最中だった。
その皇帝制により浄化され、再建されたローマはその後1000年以上も続く。
ただ、この皇帝という存在も、絶対権力者という立場ではありながら、暗殺されたり、追い出されたり、と、結局は民衆に左右されてしまう…皇帝というより、やはり「市民の第1人者」と呼ぶにふさわしい存在だったといえる。
考察するに人類に最適な体制とは、独裁による変革ののち、
「独裁制と民主制の間」を最高のバランスで確立することなのではないかと。
いまの日本にも「カミルス」のような将軍の誕生を期待したい。
自戒の念を込めて…
(2011-10-24)
いや、たった「独り」だからこそ、世界を変えることができる。
ヒト、モノ、カネ、権力・・・あらゆるものが「独り」に集中するからこそ変えられる。
裏を返せば、本人も周りも協力してすべてを集中させる必要があるし、それを周りが良しとするカリスマ性も兼ね備えていなくてはいけない…
スティーブ・ジョブス・・・
彼の死は、なんだか世界の進化が100年遅くなるような気がした。
ビン・ラディン・・・
思ったより大きな混乱にならなかった。
そして、カダフィ・・・
独裁だからこそのプラスとマイナスをあらためて感じる。
独裁からうまく民主制に移行できなかったのだろうか。
たくさんの部族を、自らが敵でありつづけることで、抑制するしかなかったのだろうか。
それともいつからかそんな志とは関係なく、独裁者を謳歌していたのか・・・
そこまでのバカが、40年以上もの長きにわたり独裁政権を維持できるとは、どうしても思えないのだが・・・
彼を嬲り殺しにしてしまった新たなリーダー・・・リーダーたち?も結局は野蛮であるというイメージを世界に植え付けてしまった。
中東問題しかり、インターネットの自浄作用に期待するしかないのが現状か。
で、本題…『カミルス』
人類は何千年も「たった独り」が世界を変えてきた。
そして、その功績は、変革後、いかにスムーズに民主制に移行できたかに依っていると思う。
つまりは、民衆がいかにスムーズに独りにすべてを集中させ、いかにスムーズにすべてを奪うかということ。
古代ローマに「カミルス」という将軍がいた。
その頃のローマは、何度も敵国が攻めてきては占領され、そのたびに壊滅的な被害受けていた。
そして、そのたびに「カミルス」は全権を委任され、そして見事に敵を追い払った。
ところが、カミルスはその戦果のあと、必ずローマを追い出されるのである。
理由は、ローマ市民が過去の経験から独裁への強いアレルギーを持っていたこと。
そして、カミルスがそのアレルギー反応を見事にあおる「独りよがりぶり」を魅せたからだというのだ。
カミルスが追い出されると、それを見計らって、また敵が侵略してくる。
そして、他の将軍たちでは歯が立たず、また占領されてしまう。
市民は、また追い出したカミルスに助けを求める・・・
カミルスはといえば・・・快く引き受けて…また撃退してしまうのである。
カミルスは、本当になにも学ばない頭のおかしい男だったのだろうか?
そんな男が名将足り得ただろうか?
最初は、本当に「独裁感」や「周りの嫉妬による奸計」で追い出されたのかもしれない。
だが、途中からはきっと「自ら追い出されるように」していたのではないだろうか。
大功績をおさめ、かつ控え目にしていたら、民衆の支持は絶対的になってしまう。
そのまま実質上の独裁政権にも発展できる。
だが、彼は、自分が戦以外の才はないことを、そして誰よりも独裁政権の弊害を知っていたのではないだろうか。
戦は最終的には心理学だという。
敵の心理を巧みに操る彼だからこそ、味方同志で騙し合い、奪い合い、潰し合うことになるであろう「独裁」を受け入れられなかったのではないかと。
そして、それから数百年のち、ローマに最初の皇帝が誕生する。
自ら皇帝(独裁)を宣言したカエサル(シーザー)は、暗殺されてしった。
そのあとを、皇帝宣言はせず、ひとつひとつ実権を集めていくという大変な手間をかけて「実質的に皇帝と同じ権力を持つ」という「第1人者」という巧妙な策による皇帝が誕生する。
皇帝オクタビアヌスだ。
そのときのローマはなんとしても独裁政権をしかない限り、民主制の悪い面が溜りに溜り、崩壊への道を辿っている最中だった。
その皇帝制により浄化され、再建されたローマはその後1000年以上も続く。
ただ、この皇帝という存在も、絶対権力者という立場ではありながら、暗殺されたり、追い出されたり、と、結局は民衆に左右されてしまう…皇帝というより、やはり「市民の第1人者」と呼ぶにふさわしい存在だったといえる。
考察するに人類に最適な体制とは、独裁による変革ののち、
「独裁制と民主制の間」を最高のバランスで確立することなのではないかと。
いまの日本にも「カミルス」のような将軍の誕生を期待したい。
自戒の念を込めて…
(2011-10-24)