癌治療の特効薬と生きる理由
昨年、2007年の春先のこと。
知人の社長が癌(がん)になった
重度の肝臓がん
手術も行ったが、すでに転移してしまっていて、もう医学では治せないところまできている
ちょうど一年前、桜の季節、家を新築されて、そのお祝いに行ったときは、そんな翳りは微塵もなく、いたって元気そうだった
抗がん剤でやせ細り、腹には十文字の手術痕
あっという間に病人になっていた
しかし、その見た目とは裏腹に、病室での彼は、相変わらずパワフルで、そのテンションとオーラは健在だった
ただ、「翳り」はさすがの彼も隠しおおせる状態ではないことは、時折みせる表情や言葉で伝わってくる
ふと母の姉、つまり私の伯母のことを思い出した
やはり癌を患っていた
彼女の場合は18歳で最初の癌が発病、その後全身、考えうる限りの癌になった
喉頭癌、肝臓癌、胃癌、乳癌、肺癌・・・乳房は切り取られてなく、肺は片方ない。胃も何分一かしか残っていない。体重は20キロ台。
医者は、何度、もう手の施しようがないといっただろうか
しかし、そんなことを繰り返しながら、彼女はなんと76歳まで生きたのだ
しかも、その生涯は、入退院を繰り返しはしたものの、入院期間より通常の生活をしている期間のほうが長く、寝たきりということはなく、買い物に行き、料理をし、さらに旅もする。講演会も勢力的にこなし、一度など私の開けられなかったビンを開けたこともあった
なにが彼女を支え、突き動かし続けたのだろうか
その答えは信仰心という名の『信念』にあった
彼女は熱狂的な終末論を唱えるプロテスタント系のキリスト教の熱心な信者だった
ノストラダムスの予言と同じく、キリスト教にも終末論というものがある
西暦2000年前後に第3次世界大戦が起こり、世界が終わる。
その時に、イエス・キリストがヒトのカタチをかりて再度地上に降臨する
キリストの存在を信じ、祈りをささげることで『聖霊』を宿すことができ、その聖霊を宿した者のみ、核やそのほかの災厄から救済され約束の地へ連れて行ってもらえるというもの
彼女は、それを心から信じ、一人でも多くの人々を救うべく、チカラの許す限り東へ西へ『聖霊』を宿させるべく布教活動を行った
皆を終末から救うこと。その使命が彼女の支えであり、その信念が医者も見放す治るはずのない癌をも克服させてしまったのだ
祈ることで、消えるはずのない癌が消えてしまったことを、医者がありえないと言っているシーンを私は何度もこの目で見てきた
知人の社長
彼はどうだろうか・・・
正直、人生、もうなにも心配することのないくらいのお金持ちである
彼一代でその財を築いた豪傑
家族はひとり息子と奥様がいるが、そういった意味の心配はないだろう
会社も、もともと本人が直接指揮をとるようなシステムではなく、毎日をホテルのスポーツクラブや会員制クラブで優雅に過ごし、夜は呑みに行くといったような人生を送っていた
人間、元気なときはいい
食欲、性欲、物欲と欲求はキリがない
ところが病気になるとどうだ、そんな気力はすぐになくなってしまう。
自分の欲求なぞ、健康でなくなってしまえば消えてしまい、なんの生きるエネルギーにもなってはくれない
私は、日に日に衰えていく彼を見ていて、彼には生きていないといけないと思う『生きる理由』がないのではないかと考えてしまった・・・
信仰でもいい、復讐でもいい、なんでもいいから、自分以外の誰にもできないこと、自分が必要だと、自分が生きていないといけないと思える『生きる理由』
子供が妻が路頭に迷ってしまう・・・社員が、会社が・・・
そう考えていて、彼の人生は思い残すことがないくらい立派なモノであり、立派な人物なのだと、あらためて気づかされた
復讐したい!
でもいい・・・彼が思わず元気にならなくては!
と思うような攻撃すら、私の持っているチカラではできない・・・
私がすることなど、彼は一笑して終わってしまうだろう
思えば、色々と世話になった
欲しいモノはすべての持っている彼への恩返し
それは、私自身がもっともっと立派になって、そんな彼のおかげで、今の私がいるのだと語り継ぐこと
そうすることで、少なくとも私が生きている限りは、彼は生き続ける
2007年初夏、大往生。
師匠よ・・・天国の伯母よ、
私はあなたがたのことを語るに恥じないヒトにはなっているでしょうか・・・
彼らはいまでも私の中で生き続けており『信念』で世界が変わることを教え続けてくれている。
げん
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2007/03/02