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2021年1月 龍神淵の伝説                      

文化元年1804年の広域灌漑事業計画    

弘化二年1845年の石見川堰の完成  

 

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「龍神淵のむかし話」は意外と新しく、江戸の文書から謂れが見つかりました。

始まりは文化元年(1804)、完成は弘化二年(1845)に及ぶ水路開発事業に端を発しているらしいというのが分かってきました。そして石霞渓の淵から荒神原村まで曲りくねった石見川ー日野川の山裾を下る水路は思ったより長く、苦難の工事から龍神の姿を想い起こさせます。石見川のの取水口から荒神原村までおそらく一里以上はあることでしょう。

 

 

うねる龍神の尻尾のあたり、荒神原村は大山椒魚の棲息地。ここから龍神さまを遡ってみますと荒神原村では山裾からあふれた雪解け水が道路を流れておりますが、遡るにつれて水路は川面から「一丈三尺」(3.93m)の高さで生山村へと続いております。

 

 

大正期の絵図に記されている「水神滝」とはこの大木の陰を流れ落ちる滝のことでせうか?

水神滝をせき止めて高さ一丈三尺、長さ四五間の堰を作った」と ありますね。ちょうど生山村の川向こう。亀井山と隣の小山との谷間を結構な水が流れ落ちて来ます。

生山村の堰とはこの谷水を堰き止める日野川に沿った南北45間(80m)の水路の壁なのでしょうか。しかしこの水量では四町四反の田畑を開発するには足りません。

 

 

「高さ一丈三尺」の山裾を遡り石見川へと進みます。もうすぐ龍神さまの大口へと辿りつきます。右奥から石見川が合流して来ます。

 

 

そしてここが龍神さまの口。天狗さんが龍神淵を埋めて荒瀬を作ったという石霞渓に大きな口を開けて水を飲みこんでいる龍神さまの姿があります。

 

今年はこの龍神様を辿る散策コースを歩いてみることにしましょうか。令和のむかし話しがこっぽり。ではでは。 

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2021年1月 石霞渓 龍神淵

伝説の謎解きはじまり、はじまり

 

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石霞渓を下るわが石見川(右奥からは生山の村で日野川に合流して

 

 

さらに下ることおよそ半里ほどで印賀川に出合う、そこが荒神原村です。

 

 日本歴史地名体系32(鳥取県の地名)には北流する「日野川右岸の狭間の段丘に位置し、東は上菅村。拝領高は六石余、本免は三ッ。」とある貧村だった。土免三ッとは年貢の税率は30%ということから相当の悪田です。なんとここに面白い記述がありました。

 

 曰く、「文化元年(1804)日野川上流の水神滝に高さ一丈三尺・長さ四五間の荒神原堰を設け、四町四反の畑田が形成された(長尾家文書)。」と。これによると高さ約4メートル。堰の長さ約80メートルの大きな堰(せき)です。

 

どうもこの工事が龍神淵のむかし話の第一の元かと思われます。

 

 

 天狗岩は左端の「て」の辺り、水神滝は生山村の川手前。

荒神原村は「田」の辺りです。

 

 

地図では下石見から石霞渓を下る道は細く亀井山の裾(手前)を迂回して閏谷村から--荒神原へと向かっていたようです。さらに続けて

 

堰構築に際しては生山村にある御立山の材木伐採願が出されている(在方諸事控)。」

 

その上「堰の管理は上菅村・楢原村、および是次村・駒崎村・神戸上村が分担して行った(松尾家文書)。」とあります。この管理に石見川水源地の神戸上村を始め、上石見の一村、中石見の一村が関わっていることは謎です。まるでbarberさん説の「水利共同体」の 見本のような事例ですね。しかもかなり広域な取り組みです。

 

上部の〇は屏風岩です。龍神淵のむかし話の完成は弘化のあとかも知れません。

弘化二年(1845)には石見川の水を村内に引き入れる工事に成功」と長尾家文書にあるという。これはさらに上流の堰の工事 ・天狗の龍神淵の堰とも思われます。余談ですが幕末の石高では58石余と大幅増となっております。

 

春になれば水神滝や屏風岩、阿虎ヶ淵の下手の堰を調査に行くこととしませう

 では。 

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2021年1月 石霞渓の絵図から

伝説の龍神淵の話を辿る。                  

 

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 巣ごもりに馴れ過ぎて、電話の来ない土日が待ち遠しい今日このごろ

古い物語の時代考証に明け暮れる正月でございます。

今年はまず「龍神淵の物語」・・日南町の景勝地 石霞渓のお話し。

 

 

 新しいものですが、とりあえずかような絵図も残されております。

                         <日南町HPより>

 

 あらすじは・・・石霞渓が深い深い淵の続く谷であった昔、日照りになると下の村はいつも旱魃に苦しめられておりました。村の若者 松吉、その石霞渓から水を引くことを勧めたが誰も龍神淵の祟りを恐れて本気にしません。とある夜 松吉は天狗岩に棲むという天狗様にお願いに向かいます。天狗様に龍神さんのお許しをもらえるよう一心にお願いしたところお許しを得ることができました。

ところが、悦び勇んで帰る途中、松吉は運悪く岩山から滑り落ち命を落としてしまいます。

 

 哀れに思った天狗様は松吉との約束を果たすべく、すぐさま龍神さんにお願いをしてくれました。龍神さんは「宍道湖へ行くので三日だけ淵を空ける。その間に屏風岩(びょうぶいわ)の淵だけを残して後は岩を投げ込んでいい。」と言い残します。

 

 さてそれから三日間、天狗様は大忙しで亀井山の岩を取っては投げ、ちぎっては投げ、淵を埋めてしまいました。村の衆が行ってみると深い淵は消えて、荒瀬に変わっていました。

「この川なら堰(せき)が築ける」数年して村の衆は堰を築き田んぼには水が引かれたそうだ。龍神さんは松吉を憐れみ淵から救い松に姿を変えてやったという。

 

 

天狗様の住む天狗岩は左 亀井山のさらに左側。川の向こうは生山の村。屏風岩は印賀川を上った「北石霞渓」左にあります。「龍神淵」は何処かわかりませぬ。その謎は明日のこころぢゃ。 

むかしこっぽり。

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2021年1月 伝説の謎を追う

石霞渓 龍神淵のあれこれ             

 

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 石見谷から生山へ抜ける深い谷がまだ石霞渓(せっかけい)と呼ばれていない昔々のこと。「龍神淵」の話が伝えられていました。その頃  道は目もくらむような切り立った崖の上を通り谷底は青くよどんだ淵が湛えられていたそうです。さて今年の物語はかような昔話から始めましょう。

 

 

 こちらは石見谷からの入り口、南石霞渓の絵図。 小さな絵巻ですが遠く備後、備中、雲州まで記してありますが「主体は石霞渓なるもの」。しかしながらJR伯備線が描かれているからには生山駅が開業した大正12年を遡ることは無いでしょう。

 

そのうえ「石霞渓」とは「大正七年の夏、池田鐵州、石霞渓と命名し、内藤茶村、田邊太平と共に、之を天下に紹介せんとし・・・」と日野郡史にあるように命名は新しい。

 

 およそ百年ほど前のものですがここに描かれた名所、奇岩の類を正確に示すことのできるものはもう居ないでしょう。私がわかるところは右側にある「通天橋」とその下の「阿虎ヶ淵」くらいなもの。

 

 さらに下れば北石霞渓。JR生山駅、手前に亀井山城跡。伯備線は黒坂、溝口、大山駅と下ってゆきますが道路らしきものは石見川沿いには見えず日野川本流の対岸沿いに下り、印賀川を遡って阿毘縁から出雲へ抜けております。

 

 いささか省略が過ぎるようですが、さて物語の天狗岩、獅子岩、臥虎岩に臥龍岩。羽衣岩に魔天岩、 水神瀧に龍神淵や何処?

さて話はどこへ向かうのでしょうかわかりません・・・では。 

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2022年10月の秋祭りは

神社の歴史の勉強会だった。

 

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コロナ禍も三年目となりましたが、じげの産土神さまの秋祭り

 源流の第一番で挙行です。

 

 

曇りですがせめて幟はあるだけ立てまして気合を入れまする。

 

<左の随神さま>

 

<右の随神さま>

 

 左右の随神さまにご挨拶いたします。その謂れが棟札に記してあります。現在の随神様は新しいお姿で、棟札には旧随神寄進者と記されていますね。真ん中に本願主 手嶋伊兵衛。日野郡根雨の鉄山師松田屋さん(日南町旧石見村出身の鉄商西村愛助と共に大阪・住吉神社の正面門に狛犬を寄進した 伊兵衛さんのご先祖)。右側には 黒岩鉄山・支配人・江尾村 徳尾野喜兵衛 とあります。中庄屋を勤めたお方ですね。左側には天保六 未九月 黒岩山内中とあります。

 

 旧随神さんは元は 今の石見神社から北(下手に)約2キロの場所に鎮座した松尾神社に御坐した方で、石見神社が創建されたときに引き継がれて来た事が分かります。

 

 今も土俵が残っているのは「天王部屋(てんのうべや)」があった名残りです。

本殿にお参りして裏に廻ると鎮座するのが小さい祠堂なれど一番古い大蔵大明神社

 

 

御正体は闇山祇命(くらやまつみのみこと)で称徳天皇の御代すでに「大蔵山の麓に蒼生を守護せんと宣ふ」・・と古き縁起に伝えられております。

 

 

さていよいよ神事でございます。

 

 

お初穂は近年米1升2合に代わって現金が多くなりましたね。

 

 

御神酒その他さまざまお供えして巫女舞を捧げます。

 

 コロナ用心で子ども神輿、若者隊の餅つきは中止です。百年遷宮は今年も延期です。ささやかな直会は今年も持ち帰りのパックです。

来年は是非ともフルメニューで決行したいものです。 でわでわ。