最近ツイッターで、剣術と剣道の話で、いろいろ論議があったみたいで、少し覗かせて頂いた。
僕は歴史の話はいちいち考えながら、楽しむ趣味はなく、あくまで技術を追求している身なので、歴史がこうだったとか、これが正しいとか、どうでもいい派なのではありますが、
確かに剣術と剣道は多いに違う。
どれだけ違うかを思いつくままに考えると、
まず、手の内が違う。
足捌きが違う。
斬ると打つの違いがある。
袈裟斬が剣道にはない。
技法が違う。
ざっとこんな感じになる。
刀や木刀での対人稽古は、危ないから、
安全に稽古できるように、竹刀や防具が開発されたのだろうことは、容易に推測できる。
初期の頃は想定が、常に真剣での闘いだった為、闘いに慣れる意味で良かったのだと思う。
ところが、試合というもので他流派と競い出すと、面子というものが手伝い、如何に試合に勝つか!
という研究や、稽古に移行しだしたのではないか?と、思う。
試合に公平さを作るためにルールを整備し、
安全に勝敗が分かるようにして、いまの剣道のようになっていったのではと、推測する。
誰でもちょっと考えたら分かることなのだけど、
竹刀と剣は、まず重さが違う。
剣で竹刀のような振り方はとてもできるものではない。
並外れた腕力を必要としてしまう。
仮にできたとして、あの素早い足捌きは大変だ。
そして有効打の面であるが、あそこに刀を振るのは、必ずしも致命的になるとは限らない。
それよりも、袈裟斬りのほうは、確実です。
そして刃筋はそちらのほうがよく通る。
小手なんかもそうだけど、剣道のやり方では、大怪我かもしれないが、小手が斬り落ちるようなことは難しい。
実際に人を斬ったわけではないが、竹刀の軌道と剣術の軌道はそれだけ違う。
最も僕が違いを感じるのは、
試合を見てると、物凄い速さでやってるのだが、面を避けて、肩口に当たったのは、無効で、先に小手が入ったら、相手の竹刀が自分の面に入っても勝ちなんだけど、
それはやはり、実戦を想定するなら、おかしいのですね。
もし、真剣だったら、確実に自分はやられているわけですから。
剣術は、当然自分がやられてはいけないのです。
だからやられない工夫が必要になってきます。
僕の友人に空手の先生がいるのだが、空手も昔は強さや技の追求が、根底にあったけど、今は試合の為の稽古が主流になってるらしく、大変嘆いておられた。
その彼の話をじっくり聞くと、
剣道と剣術の違いもおなじような経緯をたどっていったのではなかろうか?
と、ふと思って書きました。
僕は歴史の話はいちいち考えながら、楽しむ趣味はなく、あくまで技術を追求している身なので、歴史がこうだったとか、これが正しいとか、どうでもいい派なのではありますが、
確かに剣術と剣道は多いに違う。
どれだけ違うかを思いつくままに考えると、
まず、手の内が違う。
足捌きが違う。
斬ると打つの違いがある。
袈裟斬が剣道にはない。
技法が違う。
ざっとこんな感じになる。
刀や木刀での対人稽古は、危ないから、
安全に稽古できるように、竹刀や防具が開発されたのだろうことは、容易に推測できる。
初期の頃は想定が、常に真剣での闘いだった為、闘いに慣れる意味で良かったのだと思う。
ところが、試合というもので他流派と競い出すと、面子というものが手伝い、如何に試合に勝つか!
という研究や、稽古に移行しだしたのではないか?と、思う。
試合に公平さを作るためにルールを整備し、
安全に勝敗が分かるようにして、いまの剣道のようになっていったのではと、推測する。
誰でもちょっと考えたら分かることなのだけど、
竹刀と剣は、まず重さが違う。
剣で竹刀のような振り方はとてもできるものではない。
並外れた腕力を必要としてしまう。
仮にできたとして、あの素早い足捌きは大変だ。
そして有効打の面であるが、あそこに刀を振るのは、必ずしも致命的になるとは限らない。
それよりも、袈裟斬りのほうは、確実です。
そして刃筋はそちらのほうがよく通る。
小手なんかもそうだけど、剣道のやり方では、大怪我かもしれないが、小手が斬り落ちるようなことは難しい。
実際に人を斬ったわけではないが、竹刀の軌道と剣術の軌道はそれだけ違う。
最も僕が違いを感じるのは、
試合を見てると、物凄い速さでやってるのだが、面を避けて、肩口に当たったのは、無効で、先に小手が入ったら、相手の竹刀が自分の面に入っても勝ちなんだけど、
それはやはり、実戦を想定するなら、おかしいのですね。
もし、真剣だったら、確実に自分はやられているわけですから。
剣術は、当然自分がやられてはいけないのです。
だからやられない工夫が必要になってきます。
僕の友人に空手の先生がいるのだが、空手も昔は強さや技の追求が、根底にあったけど、今は試合の為の稽古が主流になってるらしく、大変嘆いておられた。
その彼の話をじっくり聞くと、
剣道と剣術の違いもおなじような経緯をたどっていったのではなかろうか?
と、ふと思って書きました。