
先日、ある友人と話をしていた時の話
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友:『責任ってとりたくないよね~。』
元:『そうなんや~。なんで責任とりたくないん?』
友:『だって、めんどくさいやん。』
『俺のせいにされるかもしれへんし。』
『なんか嫌なイメージやん。』
元:『そうか~。』
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とまぁ~、
こんな話をしておりました。
この友人とはいろいろ話をして、なにやら自分の中で行動していく意志が芽生えたみたいなので今後を楽しみにしているのですが、
こんな会話をしている時に、感じたこと&忘れられないことがあります。
それは昔のことです。
僕は責任を取るか取らないか?を
人生から迫られたことがあります。
結局、その時に取った僕の決断は
責任を取らないだったんだと今思います。
責任を取っているフリをして、
結局取っていなかったんです。
その後どうなったのか?
猛烈に後悔しました。
もう自分が嫌いになりましたし、
自分を責めまくりました。
自分に自信がなくなり、
どこに行っても、何をしても、
結局、そのことが頭をよぎります。
その後もバカだった僕は
更に傷口を広げていきます。
そのうち周囲の人からも
ネタにされるようになります。
大切なものをどんどん失っていきました。
今、もしやり直せるなら、
その時に戻って違う選択をしたい。
そう思うことが何度もあります。
でも、無常なのか、ありがたいことなのか、
時間は戻らない。
だからそのことを再選択できない。
今感じるのは、
責任は、そのタイミングでしか取れないということ。
そして、責任を取れるポジションにいないと取れない
(もしくは範囲が決められている)ということです。
実は、
責任は取りたくても取れないことがあるのです。
もし、ファミリーレストランで
あなたがアルバイトをしているとしましょう。
そして、お飲み物をお客様にお持ちする時に、少し手が滑って、お客様のお洋服にこぼしてしまったとします
その時に身分がアルバイトだと、
応対にもよるでしょうが、
もし
「店長呼んで来い」
というようなことになったとします。
これが自分のことだと店長を呼んで終わりかもしれませんが、
恋人も同じ職場でアルバイトとして働いていて、
こぼしたのが恋人なら??
アルバイトであるあなたが呼ばれることはまずないでしょう
やっぱり店長になってしまうのです。
なぜか?
責任者だからです。
恋人を助けようとしても、
全てが終わった後で、
声をかけるぐらいしかできないのです
あなたが出て行ったところで
「お前には関係ないやろ」
で終わります。
その時に、
「僕は彼女(彼)の恋人です。
だから弁償します。」
ぐらいのことが言えたらそれはそれで
責任をとっていますが、
「そんなんじゃないねん。
この店としての対応が聴きたいねん。」
と言われれば、出る幕は多分ないでしょう。
これはたとえ話なので例外もあることはあります。
ただ、ポイントなのは
基本、ポジションとタイミングが合わないと
責任は取れないのです。
そして、一度取らなかったならば、
まったく同じ条件でで責任をとることができないことも世の中には多くあります。