子どものころから、期待を抱くことが自分の得にならないことを思い知らされた子どもがいます。
期待は失望する原因になることを知れば、期待しないのが得だと思うようになります。子どもにとって期待の種はキャンディ、ディズニーランド、大学まで範囲は広いものです。ほとんど触れるすべてです。

自分を守る唯一の方法は、自分以外に、だれにもなにも期待しないことだと学ぶようになります。
とてもつらいことですが、失うものはなく、傷つくこともない。

欲しいものは時間をかけても自分で手に入れる。
それが一番確かで傷つかない方法だと知り、やがて実践するようになります。
親にすれば手のかからない子どもになります。「いい子」です。
恋愛では「ツンツン」「ツンデレ」になります。

しかしこの方法では得るものも少ししかありません。
特に恋愛や結婚では、お互いに期待するものを伝え分かち合うことが大切です。そこには「合意」というプロセスが必ずあります。

しかし、合意や期待は失望する原因になるという思いが強ければ強いほど、期待は隠そうとするのも無理がありません。

誕生日にはケーキが欲しいと言える人がいれば、言えない人もいるということです。言えないからおかしいと決めつけるのは簡単ですが、自分ならそんなふうにはしたくない。

パートナーが自分の心を読んでくれて、期待を叶えてくれることを望む人は多い。伝えて叶えてくれるより何倍も価値があるように思うからです。

しかしこの方法には危険があります。パートナーが願いをかなえてくれなければ、今度は「自分なんかどうせつまらない人間だ」と、自分をますます否定的に考えてしまうからです。
自分のようなつまらない人間が、パートナーにああしてほしい、こうしてほしいと要求するなんて厚かましい。だから黙っておくという選択をする。

時間の経過と共に、そんなふうに思わなくていいと感じることができたとしても、要求するにはストレスが生じる。こんなストレスと対峙するなら、要求しないほうが楽だと思うようになる。

やはり気づいてくれることを期待するほうが楽だ。それで叶わなかったとしても、伝えていないから仕方がないと我慢できる。そしてお馴染みの「自分なんか大した人間でない」と思うことが感情的にもしっくりしてストレスもないと感じる。

「しかし、愛情とは、そんな気持ちにさせることではない。
あなたがそれで良いと言ったとしても、自分には意味がない。」
そんな声が聞こえてこないか、耳を澄まして確かめることだ。

大人になるということは、子どものときの好きや願望をどこかに置いて暮らすことではない。実現する場にたつことなのです。

自分の願望をパートナーに伝えることです。そして共有してもらうのです。

もし聞き入れてもらえないのなら、要求をわがままと思うかも知れないが、決してわがままではない。選んだパートナーが悪かっただけの話です。

反動形成でツンデレになる必要はありませせん。

「愛情とは、こんな悲しい気持ちにさせることではないはず。あなたがそれで良いと言ったとしても、それでは自分には意味がない。」と言っていいのです。

もちろん「すぐにできること」と「できないこと」があります。だから二人三脚で歩むのです。愛情の花を咲かせましょう。