この本面白いよ。このひとことで視野は広がります。
この映画面白いよ。このひとことで視野は広がります。

もし、視野が広がっていないとしたら、自他肯定の構えを忘れた「思いやり」「深み」が欠落している証です。

俯瞰する。視野を広げる大切な理由は、視野を広げないと、人間として拡張もしないし、成長しないからです。

視野が広がると自分の未熟を知り、触発されて、自分の目指す人間への努力が始まります。逆に視野が狭いとつまらない小さなことにこだわるようになってしまいます。小さなことにこだわる自分に気がつかないままになってしまいます。

小さなこと、小さな悩みは、自分のエゴを捨てさえすれば解決してしまいます。しかし、エゴが働いているとそれに気がつきません。エゴを捨てられるようになると自然と「思いやり」が発揮できるようになります。なぜでしょう?思いやりは「美意識」です。美意識があれば、他者に対しても礼を尽くします。

美意識とはなんでしょう?
辞書には「美に関する意識。美しさを受容したり創造したりするときの心の働き。」とあります。

たとえばアップルのコンピューターは見えない基盤にまでこだわったことで有名です。使う人の大半は購入から廃棄まで一度も目にすることはないでしょう。「なんのために?」と疑問を抱いた人はスティーブ・ジョブズの周辺にもいました。しかしジョブズは自身の美意識を貫きました。美意識はその人の「在り方」の断片です。在り方が製品の違いとなって結実した稀有な事例です。彼には外観だけが美しても中身が美しくないものが許せなかったのです。

人と人の関係で、美意識はどう働くのでしょう。
「いい女(男)」と「都合の良い女(男)」の違いをパソコンで考えてみると、「いい女」とはアップルのパソコンのようであり、「都合の良い女(男)」とは量販を可能して利益多いパソコンにたとえることができます。とっても楽な製品です。

「楽(ラク)」は歴史的に多くの人々が追い求めてきたものです。エレベーターやエスカレーターはその見本です。とっても合理的だといえます。
それに反して美意識は無駄なものように思えることがあります。

大好きな彼女に贈り物をするとします。
自分の気持ちが届けられて、彼女が喜びそうなもの、あれこれ吟味します。
すると100,000円のものより、150,000円のものが最適だとわかったとき、予算オーバーになるけど150,000円が欲しくなります。そこで自分の在り方が美意識に働きかけた分だけ自分にいろんな無理をさせます。
それをカッコいいと思うか、カッコ悪いと思うか、人さまざま、人の在り方で違いがでます。無理した分だけ汗を流して頑張っているのをどう見るかは人の意識次第です。

他人の価値観を気にすることはありません。自分がリスペクトしていない人にどう思われたって関係ないのです。このときの基準は自分を愛してくれている彼女との関係だけです。たくさんの人がいるなかで彼女は他の誰かではなく、自分を選んだわけですから、肝心の自分が他人の価値観で動くとしたら、どんな贈り物をプレゼントされても裏切り行為でしかありません。
男(女)に無理させる力、つまり努力させる力を持っているのが、「いい女(男)」です。無理したい男(女)に無理をさせないのも「いい女(男)」です。大事なことは最終的な行動がどうだったかではなく、視野を広げて育んだ在り方なのです。美意識とは厄介なものなのです。

その厄介にこだわることで、美意識は育ちます。人を想う心、思いやりとは、自分の美意識そのものです。思いやりはあってもなくても生きていけるでしょう。

実際、思いやりがないからといって電車に乗れないわけでも、自転車に乗れないわけでも、買い物ができないわけでもありません。ただしお店によっては喫煙は誰の身体にも良くないので迷惑を考慮してお断りしているケースは存在しています。俯瞰する習慣がない人は全体を見通す習慣がないので、エゴが気になりません。意識が及ばないのでわからないのです。俯瞰する習慣がない人とある人では習慣のない人の方が楽です。どちらが幸福かを決めるのは自分にしかできません。