ライフスキル講座



昨日、「本当はタカなのにヒヨコだと思っているあなたへ」をテーマに書きましたが、もう少し掘り下げてみます。

ヒヨコと思い込んだタカは、ヒヨコとしての自分をイメージして考え、行動します。

つまり、客観的な現実とは別に自分の「現実」を創り出してしまいます。

だから本当は飛べるのに、飛べるとは思わないのです。それがヒヨコだと思い込んだヒヨコの現実です。いくら周囲が「君は飛べるよ」と言っても「冗談言わないでください。ヒヨコですよ。バカにしないでください」と遂には怒り出すこともあります。

そもそも、「本当はタカなのにヒヨコだと思っている」のには、理由があります。
タカだと思って行動していたら、タカにできるはずのことが、できなかったり、何か失敗したとき、「お前はタカのふりをしているけど、ヒヨコだな」と嘲笑された経験があるからです。

重要な人物の「嘲笑」は誇りを傷つけるのを超えて心を折ります。とっても残酷な仕打ちなのです。
そんな経験をするくらいなら、タカで生きるより、ヒヨコで暮らした方が楽だと決意したのかも知れません。諦めてしまった方が楽だという生き方もあるのです。

生きる権利として、人権を尊重する意味で、人は頑張ってもいいように、頑張らなくてもいいのです。自分で決めていいのです。

でもほとんどの場合、タカであることを覚えているので、タカとして暮らしたい願望が全部消えてなくなることはないのです。できるならタカとして生きていきたい欲求を持っています。そこで葛藤が起こり、もがきます。もがいている姿が真実なのです。

だったら、「タカで生きたらいいじゃん」と他者は簡単に思うかも知れませんが、そういうわけにはいきません。それはとっても危険な発想です。

なぜなら「本当はタカなのにヒヨコだと思って」暮らしているのは、苦しんだ末の防御策だからです。もがいた末の生活の知恵なのです。無理して自分を守る防御策を手放す必要はないのです。

歩けないのに、走ることはできません。同じように、歩くトレーニングを重ねて、歩けたら、次に走るトレーニングを重ねて、少しずつ、走れるように重ねていけばいいのです。

自分を守るために、自分が傷つかないように、することは悪いことではないのです。

人はぞれぞれに歩んだ道が違います。違うことを無視されてみんなと違うから、あなたはおかしいと決めつけられる筋合いはどこにもないのです。

だけど、もがいているのも真実ですから、その真実を自分が無視するのも違う意味で危険です。だからトレーニングです。自分の習慣を手放せるように、安全を確認しながら、自信を深めて恐怖から離れていけるようにすればいいのです。





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