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少し前に「河内山宗俊」を場末の名画館で観た。大昔の映画で音もよく聞き取れない。知っている人も少ないだろう。監督は生涯で3本しか残さなかった山中貞雄氏。29歳の若さで戦地で亡くなった。それでもこの映画は面白い。健気な娘を幸せにしてやりたい一心で、男二人があっさり命を投げ込む。結果だけを見ていると何の得もない。満席だ。ここにいる人は原因を知っている人なんだなと思った。励まされたいんだろうな、きっと。

なぜを3回繰り返せと言います。物事には原因と結果があります。どうしてこうなったのか?その改善を求めるときになぜを3回繰り返します。4回、5回になることもあります。角度を変えて入口を変えて、最初からなぜを3回、4回、5回・・・掘り下げる。

原因が分らないと対策を立てることもできない。間違った対策は新たな原因を作って混乱を増すだけになることも少なくありません。仕事で「なぜ、こうなったのか?」と問いかける場面は多い。返ってくる言葉が「自分のいたらなさです。」では話にならない。本人は真面目でも、これが原因だとしたらやってられない。反省とは対策することです。「そういう問題とは違うんや!」・・・「自分の努力不足」「努力します」を原因と対策にしていたら、変化は起こらない。だから変わることが大変だと思うようになる。話が広大すぎて手がつけられないのだ。

問題は「どこが間違っていたか」なのである。それを発見するために「なぜ?」と繰り返す。「なぜ、遅刻したの?」「起きるのが遅かったから」「なぜ、遅くなったの?」「めざましが聞こえなかったから」「なぜ、聞こえなかったの?」「夜更かしが過ぎたので」「なぜ?」・・・・が続きます。

原因と結果の間にある因果関係をきちんと捉える理由のひとつは「罪を憎んで人を憎まず」の心からだ。「なぜ?(そうなった)」を「どうしたら(そうならなかった)」に変えてもいい。どちらを使うかは状況と相手で変わる。その目的が最善に向かっている点は同じだ。

人を使うなら最低限行う手法だ。それに観察を加えると、たいていのことは把握できる。愛情をスパイスに加えると、さらに真実に近づくことはできる。大切な関心ごとには欠かせない知恵だ。

なにが起こったのか、自分の大切なことは知っている。が、知っているだけでは生きたことにならない、愛にならない。知った上で行動を決める。羅針盤は生かすことだ。守ることだ。枯らしてはいけない、生かすために規制が生まれる。規制を受け入れるときに、勇気が必要になる。

もっとも大事なことのために自由を捨てる。自由を守るために自由を捨てることもある。それができることが自由だ。自由って随分不自由なんだよ。面倒くさいね。その面倒を受け入れて楽しむ力が勇気なんだろうね。

愛と勇気となぜ3回、世界一大好きな人ならの恋のレシピ

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