愛ピの言う「境界」は、憲法で定められている「人権」そのものですが、「境界」の認識が一般に広まっていないので、人権を権利と思い込んでいる人が多いようです。
権利であることに違いはありませんが、相手の人権を自分と同じように尊重する、逆に相手と同じように自分を尊重することが大切なのです。境界は自主的に緩めたり、締めたりできる柔軟なもので固定したものではありません。
この境界を冒涜していると、最近のむごい事件に発展します。自分の思い通りにならないと暴力で思い通りにしようとしてならないと、簡単に殺してしまう、というおぞましい事件はその典型なのです。
「親しき仲にも礼儀あり」と言われるように、境界は親子にも、夫婦にも、恋人にもあります。
ところが境界のないことが親密さの証しのように認識している方もいます。
このあたりは大変微妙で、境界は自主的に緩めたり、締めたりできる柔軟なものという意味では、境界がないくらい親しいというように錯覚することもあります。しかし「対等」であることを抜きにして親密さを語ると危険です。
境界を尊重するには、(自分にも相手にも)率直であること、(自分にも相手にも)誠実であること、(自分にも相手にも)対等であること、そして(自分にも相手にも)責任をとることが条件付けられています。
もし、これら4つの要素のどれかひとつでも欠けると、無断で越境してしまう可能性が高くなり、どちらかが我慢するというようなことが生じてきます。
アンビバレンスな葛藤を抱えていると、自分にとって不都合な面を相手に投影して、相手の責任で行動させるように支配しようとします。
たとえば異性を愛した場合、愛したくないを自分の感情にして、愛したいを相手に投影して相手の感情にするようにコントロールするのです。すると率直、誠実、対等、責任をとるという4つの要素は全部失い、支配欲だけになります。これでは境界は無断で侵犯することになります。
なぜ、そんなに複雑なことをするのでしょうか?本人も大変ストレスの多いやり方です。それを理解するには禁止令とその働きを知ることが鍵になります。