今年から始まったNHKの大河ドラマ「江」第2回の織田信長は良かった。
残酷非道な人物としてあらぬ噂を立てられている信長に対して、江が、「くやしくないのですか?」と迫ったとき、
「くやしい・・・・言うものには言わせておけばいい。その分、自分を信じる。神も仏も信じない。信じるのは自分だけだ。」と返します。
愛ピは、日頃から「自由」の正体は良心と良識だと信じています。
つまり、本当に自由であるためには、客観的に自分を見つめるスキルが必要で、常にスキルアップを自分に求めます。
自分を信じられる自分になるということは、常に自分は間違っていないかを自問自答することから生まれます。
なにもしないで自分を信じられるとしたら狂気です。
客観的になる、さらに客観的になる、もっと客観的になる、もっともっと客観的になる。エンドレスです。
客観的を重ねたら、どんどん積み上げたら、原理原則が発見できるようになります。そしてそれを壊してしまう。人間はひとりひとり違うからです。その違いはひとりひとりに向き合わないと見えてきません。
このとき、社会の規範と自分の規範がぴったり合えば悩むこともありません。しかしいつも合うとは限りません。特にビジネスの現場は、その連続です。モラルは尊重しますが、方法については既成観念と衝突ばかりです。自分の案が賛同されることはまずありません。ほとんどの場合、狂人扱いです。「そんなやり方がうまくいくわけがない」と言われます。しかし結果はうまくいくのです。いままでにも、世の中の仕組みが変わるような成功をしたこと、そのどれを振り返っても全部そうでした。
それはアイデアと言われるようなものではなく、自分は間違っていないか、擦り切れるような自問自答の結果なのです。
なにを言われても、我慢するとき。
言うものには言わせておけばいい。と思っています。その人のボキャブラリーの範囲でしか考えられないわけですから、その範囲を超えたことには理解が届かないのは仕方がありません。そんなものを相手にすることは、自分を引き下げることに他ならないからです。つまりそれまでの自分の努力が無駄になる。
別に超然としているわけではありません。口惜しくないわけではありません。
しかし、自分には、そのつまらなさに関わっている時間がない。もっと大事なことがあるからです。
そのために、いまこの瞬間を大事にする。
いつ大事なものを失うことになって、血の涙が溢れても、自分がなにを伝えようとしていたかではなく、伝えたのか・・・・伝えたか。それが分るようにしておきたいのです。
すべての人にできなかったとしても、世界一、大好きで大切な人には、そうしておきたい。
行動が遺言状であるようにして生きたいのです。
それは一番確かなやり方ではないかと、自問自答しています。
それが愛する作法です。