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孫(小4)の野球応援に町田市の鶴川公園へ行った折、近くに武相荘があったので 立ち寄りました。連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍した白洲次郎は、 昭和18年(1943)鶴川に引越し、住まいを「武相荘」と名付けました。 武相荘とは、武蔵と相模の境にあるこの地に因み、又彼独特の一捻りしたいという
気持から無愛想をかけて名づけたようです。建物の中は撮影禁止で写せませんでした。