連休、ささやかなツーリング「十一」からどローカル史跡へ | 元さんのいい話

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連休3日目、offでした。
朝から出かければ良かったのですが、午前中マッタリしてたら良い時間に!
とにかく、BSに飛び乗り南下。
平尾台のカルスト大地のロッヂで鶯の声を聞きながら休憩、写メも撮らずに通過。
行橋市街を通り抜けて「十一」へ
いつもの豚ステーキランチご飯は明太のっけに。


おかわりは梅シソご飯。

今回、少しボゥ〜と運転してたら思わす通り過ぎてしまいました。




食事の後英彦山方面へと

途中、豊津町の中心手前に甲塚方墳の看板が国道から少し入った所にこちらの方墳がありました。



北西側の角です。説明板には旧太宰官道ががあると書いてましたが現代の国道はこちらの北側へ左端に青色の地名板があります。


この後、本線に戻らず、裏道を走るとこちらの看板が出てきました。

共同墓地の外れに「秋月の乱」で亡くなった武士のお墓と供養塔がありました。



さらに、墓地の真ん中には縁有って会津藩から斗南藩へ転封そして豊津藩にお家再興のために留学して、明治四年という激動の時代に若い命を些細なことで切腹という残念な最後を遂げた「郡長正」の墓があります。
(私見ですが暮石左手の戒名は殿様級の戒名ですね)

150年過ぎた豊津町民(おそらく、豊津高校同窓生)が供養している、(写メにはありませんでしたが郡長正供養祭の のぼりが複数掲げてありました)

墓地の側には真言宗の寺院がありこちらで長年管理されている様です。
日本人にしか理解できないであろう「縁」(簡単に書いてますが、とても深〜い事柄です)を感じました。

別にあたしも興味があったわけでもなかったのですが、何かに引っ張られる様にこちらに来ました。

同じ福岡県の方でもローカルだ!なぁ〜!
と思わすレポでした、
このレポを読んでいただいた皆さんも何かの「縁」でしょう。

相変わらず、「」と()の多い文章でごめんなさい🙇‍♀️




途中の田んぼには青い麦が、

ごく僅かでしたがレンゲばたけもありました。


追伸、説明板を伸ばしてみました。
読めるかな?
詳しくはググってと思いながら、開くと
ぎょぎょっ!
明日、5月1日が「郡長正」の命日でした。
それで、お墓の周りがきれいに掃除されていて、縄が張り巡らされていたんです。

これはあたしの「縁」いやいや、「因縁」ですわ〜ゲッソリ


お後がよろしい様で真顔真顔