セガ…個人的には久し振りに聞く単語。
10代から20代にはセガと細〜い思い出があったり無かったり。( ´Д`)y━・~~トオイメ
10代の頃、ラジオ番組のイベントで知り合った友人の家に遊びに行った時部屋に置いてあったのが、セガ・マスターシステム。任天堂のファミコンがぶいぶい幅を効かせてた時代に存在は知ってたけど、持っている奴を見掛けたのは皆無だったゲーム機。
これをその友人が持っていた。
ゲームが好き過ぎて、毎日ゲームをしてても飽きなかったのにいろんなソフトで遊んだが、ファミコンに慣れていたせいか、なんとなく大味な感じのマスターシステムにさほど熱くならなかった。
ただデザインがスッゲーカッコいいと言うのを覚えてる。
その友人はその後、メガドライブも購入したが、何故かファミコンもスーパーファミコンも購入はしなかった。
筋金入りのセガユーザーなのかいな?と思っていたが、この友人はどうも反体制派なのか、ゲーム機はセガ。当時レーザーディスクとVHDが覇権を争っていた時代にVHDをチョイスしていた。
勿論光学ディスク争いはレーザーディスクに軍配が上がったが、彼のチョイスする物はことごとく追い込まれている死神みたいな友人だった。たぶんビデオもVHSかベータなら、ベータを所持していたと思う。
でも、地方から京都に出てきて、一人暮らしをしてた彼のアパートは憧れの城の様な感じで週末になるとよく皆で遊びに行ったもんです。金は無かったけど、なんだかんだと騒いで楽しかったなぁ。
今も元気にしてるんだろうか…
セガが次に出した、サターンは唯一セガのハード機で所持していたゲーム機。
友人から中古で譲ってもらったけど、当時サターンと覇を争ってたプレイステーションも所持していて、他にはNECが出していたPCエンジンも所持していた。
この時が一番ゲーム機を沢山所持していた時代でいろんなゲームを遊んだ。
セガサターンはとにかくバーチャファイターがやりたくて、所持していたけど、当時のセガサターンを持ってた人は殆どがそうではないだろうか?
それくらい当時のバーチャファイターは魅力的で爆発力があって面白かった。
20代も中盤に差し掛かった頃。
関西の芸能事務所に席を置いて、カラオケショーの司会をしたりしながら、ラジオの仕事をさせてもらってたりしてても、まだまだ発展途上中でいろんなチャンスに飢えてて、暗中模索している頃に京都駅に隣接する京都伊勢丹の上にワンフロアを使っての大型アミューズメントパークが出来るとの情報が飛び込んできた。
京都ジョイポリス。
数年前に東京に行った際に新宿の高島屋にあった新宿ジョイポリスに遊びに行った際に衝撃を受けた。とにかくいろんなのが面白くて、ゴミ箱1つとっても画期的。
大型の体感ゲーム機も沢山あって、街のゲームセンターとは比べ物にならないくらいにエンターテイメント感がバシバシ出ていた。
そんな衝撃を受けたジョイポリスの5番目の店舗、京都ジョイポリスが出来ると聞いて、アルバイト募集に応募して、希望していたアトラクションスタッフに配属された。
いろんなアトラクションのアテンドは面白かった。
何よりもその時の一緒に働いてたスタッフと割りと仲が良くて、今でも交流を取ったりしてます。
そのジョイポリスでバイトをしている時にセガの切り札として世に出たのがドリームキャスト。
当時では画期的なインターネットも出来ると言うハード機。いろんなゲームソフトがあって、サクラ大戦3とかあって、シェンムーなるソフトもあったなぁ。壮大なストーリーで第何章も出す予定ではあったけど、確か第1章で止まった様な…
追記:シェンムーは第2章まで出ていました。あと、第3章がPS4で出る予定だそうです。
他にもゲームボーイ全盛期にセガが出したハンディゲーム機のゲームギアがなんとなく欲しかったりしてとかあったり。
これくらいしかと言えば、これくらいなんですが、セガと言う単語でこんな事を思い出します。
とにかく、ジョイポリスはなんだかんだで5年働いていて、思い出は尽きない。
深夜のラジオ番組のレギュラーを担当したのもこの頃で、東京に出るきっかけとなるのもこの頃の事。初めてのアメリカ旅行もこの頃だったなぁ。
人生の転換期に京都ジョイポリスがあったので、10〜20代の頃の青春はセガの単語が隣にいた訳です。と言うのは少しこじつけかなw
とにもかくにも東京に出て、なんだかんだしながら頑張ってます。
あの頃に自分がプロレスのリングアナをやって、プロレスリングNOAHのリングアナを担当しているなんて、想像もしてなかったです。
あの頃のジョイポリスのスタッフの皆様に久々に会いたくなった。みんな元気にしているだろうか?
とりあえず、あの頃の皆様。松丸はなんとか頑張っておりますだ♪