一昨日の3月5日(金)に第33回『日本アカデミー賞』の授賞式が東京都港区のグランドプリンスホテル新高輪で行われ、巨大企業を舞台に冷遇されながらも信念を貫いて生きる男の姿を描いた『沈まぬ太陽』(若松節朗監督)が最優秀作品賞に輝いた。


 最優秀監督賞には、『剣岳 点の記』の木村大作監督が選ばれ、『(この作品は)映画を愛する人たちにとっては最大の映画だと思っています。本当にありがたく、喜んでいます。』と語った。


 主演男優賞=渡辺謙『沈まぬ太陽』


 主演女優賞=松たか子『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』


 助演男優賞=香川照之『剣岳 点の記』


 助演女優賞=余貴美子『ディア・ドクター』


 外国作品賞=『グラン・トリノ』


 アニメーション作品賞=『サマーウォーズ』




 我々が『歴史的事実』だと思っているエピソードの中には、後世の人がベタベタと塗りたくった虚像を身につけ、でっぷり肥満した『偽りの歴史』―つまりは俗説―が含まれていることが少なくない。


 特に、英雄といわれる歴史上の人物像については、ほとんどそうだと指摘する歴史家もいるほどだ。後世の軍記物や講談、あるいは絵本などの影響を受け、実際の人物像と大きく掛け離れてしまった虚像の部分だけが一人歩きし、これが世間一般に真実だという誤解を撒き散らしているケースも少なくないであろう。


 去年のNHK大河ドラマ『天地人』の主人公であり、天下分け目の関ヶ原合戦で盟友・石田三成とともに重要な役割を果たす上杉家の宰相・直江兼続もしかりである。


 例えば、上杉謙信の死後、兼続が謙信の遺言を捏造したという話がある。このとき兼続が、病の床にあった謙信に『家督を景勝公へお譲り給はん』と列座する重臣らに聞こえるほどの大声をあげると、謙信は声に出さなかったものの、ただただ納得したように頷くばかりだったことになっている。しかしこののち、景勝が景虎との家督争い(『御館の乱』)に勝利して家督を相続したことを考えると、これは〝勝者の歴史〟であり、このときわずか十八歳の、それも景勝の小姓にすぎない兼続が―仮に兼続が謙信に可愛がられていたとしても―上杉家にとって重要な家督について発言する立場にあるはずがない。しかし困ったことに、この話は由緒正しいとされる歴史書に残る話である。


 史書ですらこうなるのだから、あとは推して知るべし。太閤秀吉が極貧の水呑百姓だったという話も江戸時代に書かれた『絵本太閤記』の影響からで、実際に秀吉はそれほど貧しい百姓の生まれではなかったし、そもそも秀吉が百姓だったかどうかも定かではない。


 合戦も同じことである。川中島における謙信と武田信玄の有名な一騎打ちにしても、武田側の史料である『甲陽軍艦』による捏造の可能性が極めて高く、長篠合戦における織田軍の有名な鉄砲三段撃ちも誇張された話であろう。戦国三大夜戦の一つである川越夜戦に至っては、夜戦どころか実際に史料が記す合戦があったかどうかも疑われている。


 御興味のある方は、コンビニまたはインターネットで双葉社から発行されている『実録!!戦国時代ミステリー99』をお買い求めください。




 注目の第82回アカデミー賞授賞式が7日(日本時間8日)、アメリカ・ロサンゼルスのコダック・シアターで行われる。今回は作品賞のノミネート数が従来の倍の10作品に増加。多様なジャンルの作品が並ぶ中、ともに最多9部門でノミネートされた3D大作『アバター』(ジェームズ・キャメロン監督)と戦争映画『ハート・ロッカー』(キャスリン・ビグロー監督)が事実上の一騎打ちとなりそうだ。


 作品賞候補には、アニメ『カールじいさんの空飛ぶ家』や異色SF『第9地区』など、バラエティーに富んだ作品ばかりがノミネートされ、授賞式のテレビ放送がつまらないという批判を受けてのもの。中でも『アバター』と『ハート・ロッカー』は、監督同士が元夫婦であることや、『ハート・ロッカー』のプロデューサーが自作に投票してほしいと映画芸術科学アカデミー(AMPAS)会員に電子メールを送っていたことが発覚するなど話題を呼んでいる。


 それではどちらに軍配が上がるのか。海外メディアなどの下馬評では、作品賞は『ハート・ロッカー』、監督賞がキャメロンに分かれるというのが大方の予想だ。その理由は選考主体のAMPASの特注にある、とアメリカの映画事情に詳しい映画ライター、よしひろまさみち氏は指摘する。『確かに『アバター』は映像革命を起こしたエポック的な映画だが、保守的なAMPASのブライドから、CGを駆使して何でもありの世界をつくったSF大作に作品賞を授与するとは考えられない。また、これまで女性監督に監督賞をあげたこともない。そでそれぞれにバランス良く賞を分けようとするのではないでしょうか?』


 昨年は、『おくりびと』が外国語映画賞、『つみきのいえ』が短編アニメーション賞を受賞し、54年ぶりに日本作品ダブル受賞の快挙を達成したが、今年は候補作に日本映画がないのが少し寂しい。ただ、イラストレーターの上杉忠弘氏が携わった『コララインとボタンの魔女』が長編アニメーション賞にノミネートされているほか、長編ドキュメンタリー賞には、和歌山県太地町でのイルカ漁を隠し撮りした『ザ・コーヴ』と、2007年にミャンマーで殺害されたジャーナリストの長井健司さんの映像が含まれたデンマーク映画『ビルマVJ 消された革命』の2本が候補になっており、注目される。


 


 織田裕二が熱血刑事を演じる人気シリーズ『踊る大捜査線』の7年ぶりの新作映画がこの夏、劇場公開される。2月23日には製作報告会見が開かれ、織田は、『映画のテーマは『仲間』と『生きる』です。撮影ではスタッフもキャストもみな熱い。観終わった後に幸せな気持ちになれる映画になる予定です。』と笑顔でアピールした。


 劇場版第3弾となる新作のタイトルは『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』(本広克行監督)。織田演じる青島刑事が警視庁湾岸署の刑事課強行犯係長に昇進して張り切っていると、8つの事件が発生し、湾岸署を襲うというストーリーだ。


 キャスティングでは、お馴染みのレギュラー出演者に加えて、昨年、フジテレビの『東京DOGS』でエリート刑事役を演じた小栗旬が新たに若手エリート警察官僚役で出演。ほかにも青島刑事の新しい部下に内田有紀、故いかりや長介さんが演じてきた指導員、和久さんの甥の新人刑事に伊藤淳司と、フレッシュな顔ぶれが登場する。


 会見で、小栗は、『こんな歴史的作品に参加させていただくとは。いい思い出になりました。』と嬉しそう。また内田は、『憧れの青島さんの下で働けるのが夢のようです。』と感慨深げに話していた。


 製作を手掛けたフジテレビの亀山千広常務は、『この夏は、〝熱く〟なります。閉塞感のある日本を、このメンバーが解放してくれると思います。』と意気込みを見せた。


 『踊る大捜査線』は平成9年に同局で連続ドラマとして放送。翌10年、映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』が公開されたのに続き、平成15年には、『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』が観客動員1260万人、興行収入173億5千万円と、日本の実写映画としては最高のヒットを記録した。


 今回の第3弾は、7月3日に全国公開の予定。



 『1972年の札幌五輪の直後に発足したころは登録者が100人ほどいた。今は30人弱。』バンクーバー五輪スキー・ジャンプ代表の栃木翔平が育った札幌ジャンプ少年団を運営する渡辺隆一さんは現状をこう嘆く。


 北海道下川町は今回の代表組5人のうち3人を送り出した。『ジャンプの町』そこでも児童生徒数は2000年度の326人から2009年度には216人に減少した。同町ジャンプ少年団で将来の五輪代表を夢見るのはわずか22人。競技人口の減少が深刻だ。


 1998年の長野五輪後、ベテラン頼みが続いた『日の丸飛行隊』。3大会ぶりの表彰台を目指したバンクーバーでも状況は変わらず、メダルが期待された団体は5位止まり。ベテランを突き上げる若手が育たず、競技人口の減少が若手の人材難に直結する悪循環。解決の糸口は見えない。


 『長野組』頼み


 ジャンプに限らず、今回の日本選手団ではベテランが脚光を浴びた。選手団主将はジャンプの岡部孝信(39)、旗手はスピードスケート女子の岡崎朋美(38)。日本最多の6度目の出場を果たしたジャンプの葛西紀明(37)や女子モーグルで5度目の里谷多英(33)、最年長出場となる男子スケルトンの越和宏(45)らが選手団に加わった。


 越を除く4選手はいずれも、金5個を含むメダル10個と史上最高成績を挙げた長野五輪の経験者。地元開催の利を生かし、有力選手を重点的に鍛えてメダルにつなげた。企業への依存度が高く、強化資金に限りがある日本では、トップ選手に資金を集中投下する方策が効果的だったといえる。だが、12年を経過した今でも『長野組』が第一線で活躍する現実は、層の薄さの裏返しともいえる。


 チャンス掴む


 強豪国といえども世代交代を誤ると、深刻な結果を招く。アルペンスキーの強豪として知られるオーストリア男子は今大会でメダルすら獲得できなかった。アルペンが初めて実施された1936年ガルミッシュパルテンキルヘン大会以来、1974年ぶりの屈辱となった。


 不振の理由には欧州と異なる雪質への対応の不手際とともに、世代交代の遅れを指摘する声が上がる。長野五輪2冠で、男子歴代2位のワールドカップ杯通算54勝を挙げたヘルマン・マイヤーの存在が若手の登用を阻んだという指摘だ。


 一昨年の北京五輪では、日本にも同種の事例があった。柔道女子48㌔級の谷亮子(34)。五輪代表選考会に敗れながら過去の実績が評価されて代表入り。世代交代の波に逆らった。北京では期待された金ではなく銅。若手が経験を積む機会を摘み取り、ロンドン五輪に向けた強化に課題を残すことにもなった。


 『金メダル9個のうち7個が前回アテネ五輪に続く2回目のメダル。世代交代をしっかりしないと、ロンドンは厳しい。』北京五輪後、日本選手団の上村春樹総監督(現日本オリンピック委員会選手強化本部長)は指摘していた。2年後のロンドンに、そして4年後のソチまでに警鐘は生かされるだろうか。


 器用な日本人が生み出した新しい文字


 シャープペンシル、カップラーメン、コンタクトレンズ、CD-R・・・。〝ものづくり〟に長けた日本人の特性は、なにも現代に限ったことではない。平安時代、日本人はその器用さでもって、漢字からひらがなとカタカナを生み出した。しかし当時は漢字偏重の時代。公用文は全て漢字で書かれ、使用者はもっぱら男性に限られていた。漢字を知っているかどうかが男性の教養の表れであり、せっかく生み出したひらがなは、女性のための文字にすぎなかった。


 紀貫之の随筆『土佐日記』の冒頭には『男もすなる日記というものを女もしてみぬとてするなり』とある。漢字を使ってものを書くのは男性であること、そして女性に扮した紀貫之があえてひらがなでこの作品を仕上げているという一文からも、その状況がうかがえる。


 ひらがなが仮の文字、すなわち平仮名と名づけられていることからも、漢字よりも軽視されていたことがわかるだろう。


 カタカナは漢字を簡単に表記したもの


 日本人にとって、ひらがなと同じくらい馴染み深い文字がカタカナである。どちらも平安時代に漢字から生み出された文字なのだが、前のページと次のページの表を見比べるとわかる通り、元にした漢字は異なっている。


 これにははっきりとした理由はない。ただし両者の成り立ちや使用法を見れば、その答えが見えてくる。ひらがなが漢字全体の形を崩して作られたのに対して、カタカナは漢字のへんなど、どこか一部分を拝借してできた文字である。


 カタカナは、公的な文書を書き表す際、漢字の補助的な文字として使用されてきた。福沢諭吉の『天ハ人ノ上ニ人ヨ造ラズ人ノ下ニ人ヨ造ラズ云ヘリ』という文言を目にしたことがある人も多いだろう。このような漢字+カタカナの文は、近代に至るまで使用されてきた文体である。この場合のカタカナはメインの文字ではないため、文書においては小さなスペースに書かれることも多々あった。このことから、カタカナで、省スペースを実現したのでは、といわれている。


 そのほか、読み上げた漢語をスピーディーにメモするために、漢字を簡素化して表記したのがカタカナだという説もある。いずれにせよ、漢字をカンタンにした結果が、カタカナなのだ。


 限られた者だけが使用した文字


 漢字が日本の一般民衆に定着するまでには、かなりの時間を要した。文学が花開いた平安時代でさえ、漢字は一部の高い階級の者のみが使用できる、限られたツールだった。『古今和歌集』や『今昔物語』などをはじめとしてさまざまなジャンルの文学がこの時代に生まれたが、漢字を使用して作品を仕上げた作者は必ず貴族であった。


 また貴族たちは、漢字を遊びの道具にも使用していた。それは『へんつぎ』というものである。ルールは簡単。あるひとつの漢字を提示し、その漢字と同じへんを持つ字を順々に出して競うのだ。知略を要するこの遊びの存在から、貴族の間にかなり漢字が浸透していることがわかるだろう。


 一方で一般市民は、『竹取物語』などの物語には接してはいたものの、あくまで口承で楽しんでいただけだった。漢字は知識人のものであり優雅に『へんつぎ』などを行わない彼らにとっては、漢字ははるか遠い世界のものだったのだ。


 私たちが習得する漢字の量


 それでは漢字が民衆に浸透したのはいつ頃だろうか。それは、漢字が伝来してからおよそ1500年後の明治時代といわれている。それまでの日本人にとって、漢字は今でいう英語よりも敷居が高い存在であった。例えば、『論議』や『委細』なども、理解しがたい難しいことばだったという。近代日本教育の普及により、現行の課程では、小学1年生で80字、2年生で160字・・・と学習していき、小学校で1006字、高校を卒業する頃には、およそ2000字を習得することになるといわれている。


 金印に彫られた日本最古の漢字


 正式な国史(古事記)によれば、日本への漢字の伝来は、285年、百済の王仁が『論語』を携え来朝し、これを倭王に献上したことに始まる。しかし、それ以前に漢字は伝来していたと考えられている。ヒントは、私たちがよく知る歴史的な出来事にあった。


 歴史の授業で必ず習う『漢委奴国王金印』。福岡市の志賀島で発見された有名な金印だ。漢の光武帝が、日本の小国・奴国の長に授けたものである。漢が委(倭)国の存在を認める意味の『漢委奴国王』と彫られ、中国からの友好の証であった。


 金印が日本に漢字を認識し、理解できる者がいたということ。金印が授受された紀元前57年頃には、漢字はとっくに日本に伝来していたのだ。『285年に伝来した。』とする国史に修正の余地があることはまちがいなさそうだが、正確な時期は未だ判明していない。


 『サン』に『やま』の読みをあてた日本人


 年代をはじめ、漢字の伝来には不明確なことが多いが、はっきりとわかっていることが多いが、はっきりとわかっていることもある。中国大陸、朝鮮半島を経て、渡来人によってもたらされたということである。しかし、大化前代は朝廷に仕えた渡来人・史部(ふびとべ)により漢字は記録文書として使われ、日本人が漢字を使用する機会はなかったようだ。奈良時代になってようやく一般民衆にも漢字が広まるが、最初から今のような使い方をしていたわけではない。例えば、『山』という字。当初は『サン』と読んでいたが、『ヤマ』という音をあて、やがてその通りに読むようになったのだ。


 王にのみ使用を許された漢字


 ソウケツのエピソードは、中国の人々に長い間信じられてきた。しかし、これはあくまで伝説。実際には、古代の人々の望みや各時代の世相、死生観を反映して、多くの文字が考え出されていったと考えるのが自然だろう。


 漢字の直接の祖先にあたるのは、亀甲獣骨文字(甲骨文字)である。紀元前1300年前後、亀甲や羊や鹿の肩甲骨に刻まれた甲骨文字が生まれた。そして殷の時代、中国七大古都の安陽で定着したと見られている。殷は神が絶対の権力を行使する神権政治であり、王は、神の代弁者であった。神と王のやりとりは、亀甲や獣骨に刻まれた字によって行われた。甲骨獣骨に神への願いを刻み、これを焼き、その割れ目を神のお告げとして人民を統治した。この時代、漢字は選ばれし者にのみ使用を許された特別なものであり、王の権力を強固なものにするために作られたといっても過言ではない。


 占いに使用された亀甲獣骨


 王は、占いによって神の意向を聞いた。亀甲や獣骨の裏に彫りこみを入れ、熱した木の根などを差し込むと、表面にひびが入る。そのひびの形を、神のお告げとして人民に伝え、政治を行った。占いのことを、漢字で『ト(ボク)』と表す。これは、この亀甲獣骨が割れる『ぼくっ』という音を表している字だと言われる。このことから、甲骨文字のことをト辞(ボクジ)とも呼ぶ。


 その後、周の時代に、『金文(キンブン)』、秦の始皇帝の時代には、『テン文』や『隷書』、漢代末期には、『楷書』が作られ、唐代に現代の形が完成したと見られている。

 

 動物の足跡からひらめく


 『漢字』の多くが物の形や様子から成り立っているということは広く知られている。例えば、『山』や『鳥』や『馬』などが有名だろう。頂に向かって高く聳える山、羽根を羽ばたかせて今にも飛ぼうとしている鳥、美しい鬣を靡かせる馬・・・これらの姿は、どのようにして『文字』となったのであろうか。


 漢字のルーツを探るカギは、古代中国の伝説にあった。ソウケツという学者が、ぼんやりと野原を眺めていたときだった。そこには、鳥や動物の足跡がたくさん残されていた。彼は、その足跡によって、どの鳥や動物がここを通ったのかを判別できることに気づいた。実際に、そこに存在しているわけではないのに、足跡で判断できる。それは、足跡に鳥や動物の特徴が表れているからにほかならなかった。そのことにヒントを得た彼は、ほかにも物や形の特徴を文字で表わすことができるのではないかと考え、漢字を生み出していったといわれている。


 四つ目の賢人が発明した文字


 動物の足跡からヒントを得たソウケツ。その瞬間、伝承では天から穀物が降り、幽霊の声がするなど天変地異が起こったと記されている。そんな言い伝えが残るほど、漢字の誕生は衝撃的な出来事であった。


 ソウケツが気づいた足跡の特徴は、〝自然の法則〟と言い換えることができるだろう。今でいえば自然界の物理法則を発見したくらいのインパクトがあったというわけだ。ちなみに彼は、目が四つあったと言われている。〝自然の法則〟を発見した鋭い観察眼が、このような伝説を生み出したのだろう。