世の中には、真っ当な理屈とは全く乖離したおかしな屁理屈を延々と論じている人たちがいる。


外から眺めていたらその詭弁な屁理屈に気づくのに、議論の当事者たちにはそうした議論の歪みが分からないか、論破できないで、屁理屈のまま茹でガエルになっている。


よく切れるナイフは、料理をしたり加工をしたりする便利な道具だが、それを使って殺人する事もできる。だからと言って、ナイフは「便利な道具」かそれとも「殺人兵器」かと議論する事に意味はない。殺人に使う使い方を間違いとして扱って、ナイフそのものの是非は議論しても意味がない。電子レンジで濡れた猫を乾かしてはいけないと注意書きするような過剰な予防的議論は不毛である。


何となく腑に落ちないが反対賛成の綱引きが続くテーマには「少年犯罪」や「犯人の判断能力」などがある。どちらも行った犯罪行為は明らかなのに、「罪に問えるか」と言う人権擁護論が壁になる。


そして今日取り上げたい「不毛な議論」は、学術会議でも真剣に議論されているあるロケット技術だ。詳しく内容はよく知らないが固体ロケット燃料と液体ロケット燃料を上手く見合わせた画期的な技術なのだが、それが防衛兵器に利用されるのは「戦争反対」の観点から間違いだと言う議論に加えて、国の予算を使って大学で「防衛技術開発」をするのは間違いだと言う議論である。


言い換えると「国防」は国家予算でも毎年膨大な金額が認められているのに、それを無視して兵器技術に繋がる研究は否定されるべきものかそうでないかと言った屁理屈に終始している。


人権擁護と犯罪との境目議論と同様で、戦争反対と国防という境目議論には落とし所が見つからないらしい。


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