無力
本当に久しぶり。実に5,6年ぶり?
誰も読んではいないだろうけど、どうしても書かずにはいられなかった。
人が読んでいるところで書くのはためらっている心配性のせいです。
私は新聞を読むのが苦手です。
大学受験のときも就活のときも、不可欠といわれながらもほっとんど読みませんでした。
それは今も変わらず、どうしても習慣として読めません。
普段はそれほど困りませんが、時々はっと気づかされます。
選挙の時、重要な法案が通りそうになってからなど。
政治のことが分からないからきちんと投票できないし、
いつも気づいた時にはすでに遅いんです。今回もようやく気付かされました。
「東京都青少年健全育成条例改正」
15日に可否が決まるそうですが、私は今日知りました。
この条例が有効なのかそうでないのか、いろいろなところで議論が交わされているそうです。
私が知ったのは条例に異議を唱えている意見からなので、そちらにやや傾いていることは否めません。条例の本文をざっと読んだだけなので、間違いがあるかもしれません。でも、読んで思ったことがあります。
私は演劇が好きです。高いし遠いので最近はなかなか観にいけませんが、大学時代はたくさん観て、衝撃を受けたり気づかされたりした経験は、とても大事に思っています。比較的自由な表現媒体だと思います。
小説も大好きです。本屋をぶらぶら歩いて、気になる作品を読むのはとても楽しい。
それらの中には、もちろん戦うシーンや大人の描写が出てくることもあります。
条例では、それらの観点から「都が」青少年にふさわしくないと定めたものは規制され、「都が」望ましいと決めたら奨励できるとありました。(非常におおまかです、すみません)
一部に、またはそれが主題として描かれているからといって、限られた判断基準をもとに良い・悪いと区別することにならないかと不安になりました。
もちろん、青少年に触れさせてはいけない作品もあると思います。けど、殴る場面が出てきたからといって、「私も殴ってみたい」と考える子供はそんなにたくさんいるのでしょうか?もしいるとしたら、そんな考え方をしないように育てる方法を考えなければいけないのではないでしょうか。安易な規制は、ほかの方法を考えつかず実行するのが難しい大人の逃げではないかと思います。非常に困難で、苦しくつらい道のりだというのは分かっています。私もその中の一因で、責任があります。しかし、ここで早合点をしてしまって、本当に後悔しないとは言えないのです。
気づくのは遅く、有効な手段を取れず、この記事は何の意味もないかもしれません。
これくらいしかできない自分を恥じています。けれど、ほんの少しでも何かの変化を起こせたならと願います。
逃げる
マイナスとプラスを行ったりきたりして、マイナスを考えるとほんと泣けてくる。誰かに聞いてほしいけど、こんな時にかぎって誰もいない…。日曜の夜なんて、みんな邪魔されたくないだろうし。
あんまり考えすぎるから気晴らしにスーパーへ買い物。思いついて、お酒買ってくる。初めて独り酒をしてみた。カクテルパートナー缶半分で顔が熱くなってきたけど、ちょっとだけ胃のあたりの重い感じがなくなったかも。あーこのまま寝ないようにしなきゃ。
でも、もうしたくないなぁ。寂しい(:_;)
明日がこわい。良い日になってほしい…。
発想の転換
課題の山が大きすぎて、公(?)的にも私的にも気持ちに余裕がなくなってました。
論文をひとりで進めていると、集中しなくちゃいけないのによけいなことを考える。
文献読んでても、ひとり。 悩んでも、ひとり。
これが思いのほかこたえるものですね。
もんもん、もんもんと悩んで、感情が負のループ。ドつぼにはまりました。
あんまりつらくなったものだから、早めに切り上げて本屋へ。
好きなブログが書籍になったのでそれを取り扱う店舗に行きたかったのです。
目当ての本を手にして、ついでにうろうろ。
なにか心が晴れる本はないだろうか…と、気分に任せてエッセイコーナーを物色。
あ、これ、文庫化したんだ。
「キッパリ! たった5分間で自分を変える方法 /上大岡トメ」
☆ 「~~しないと・・・・できない」 ではなく、 「~~すれば・・・・できる」 と言おう。
たったコレだけですが、なんだか目からうろこでした。
そう、そうなんだよなぁ。
ついつい、「早くいしないと終わらない」 「こんなんじゃ書けない」って、二重否定しちゃうんだ。
たったソレだけでも、少しずつ少しずつ自分を追い込んでしまってたんだろうなぁ。
根拠のない、無駄な自信はよくない。
でも、あんまり後ろ向きでも、心が小さく小さく固まってしまう。
それじゃできることもできなくなっちゃう。
ほかにも印象的な項目があったんだけど、これがいちばんじんときました。
あんまり押し付けがましい前向きすぎるエッセイは苦手ですが(美容系のはとくに…)、
これのおかげで元気がでました。 ベストセラーになっただけあるね!!
でも、立ち読みで帰ってきてしまいました(^^;)ごめんなさ~い。
書き出しを無造作にならべてみる
ひさしぶりの更新になってしまいました…。
アメブロ先輩のユミリさんが路線変更を宣言されてましたが、わたしも方針を決めたほうがいいのかなと考え中。
好き勝手にやってると自分でもなに書こうかよくわかんなくなることがあるんですよね
わたしはブログやホームページで絵日記を見るのが好きなので、自分も絵が描けたらいいのに~と思ったりもします。技術も設備もないのでそれは実現しませんが…。とりあえず今日は気まぐれ更新です。
さて本題。
先日、阿刀田高の「~を知っていますか?」シリーズを読んでいて、物語の「書き出し」に注目している一節がありました。阿刀田さん自身も短編小説の作家なので、物語の書き出しというのはこれから始まる話へと読者を引き込むため、魅力を感じさせるように苦心惨澹して考え出すものなのだと作家としての意見を述べていたのです。そして、いくつかの文学作品から書き出しを抜き出し、感心したりその巧みさを解説したりしてました。
興味がでてきた方には詳しいことは阿刀田さんの本を読んでいただくとして。
なんとなく、いろんな作品の書き出しだけを並べてみるのも面白そうかも~と思ってしまいました。
そこでわざわざこのブログで実践してしまおうと思います。
作品は管理人の独断で好きなものを選りすぐりました。少しだけ真面目なものも織り交ぜつつ。
本当は入れたかったのに本が見つからないのもあった…。見つかったら改めてみてみよう。
ほんとに羅列するだけなので、読んだ方には全然面白くないかもしれません(^^;)
では、さっそくいってみましょー(^▽^)
①東の海神 西の滄海/小野不由美
「世界の果てには虚海と呼ばれる海がある。この海の東と西に、ふたつの国があった。つねには交わることなく、隔絶されたこの二国には、ともにひとつの伝説がある。」
シリーズものの2巻です。1巻が見つからなかった(T_T)
ファンタジー作品の世界観を端的に説明する書き出しですね。どんな伝説だろう?と気になる感じ。
②家守綺譚/梨木香歩
「鳥の落し物から、時折見慣れぬ洋風の草も芽吹くが、元々は和風の庭だ。」
本当はこの前のページに、「左は学士綿貫征四郎の著述せしもの」という一文があります。
ふつう筆者が「妻に捧ぐ」とか個人的な献辞を書くとこなので、作品の一部かどうか一瞬迷うところ。
そこからこの本の魔法が始まってるんですね。
書き出しは何気ない日記風。
③蒼穹の昴/浅田次郎
「大清国光緒十二年・西暦一八十六年 冬
梁家屯の貧しき寡婦の倅、李春雲よ。畑もなく鍬もなく、舟もなく網もなく、街道に凍てたる牛馬の糞を拾いて生計となす、卑しきやるがれ、小李よ。聞かずともよい。知りたくば耳をそばだてよ。」
ながいながい。
この調子で数ページ続きます。
単行本にして4巻に渡る歴史スペクタクル、しょっぱなから年号です。
物語をひも解くすべての始まりがこれから始まるってゆうわくわくを感じます。
④息子たちと恋人たち/D.H.ロレンス(本多顕彰訳)
「『ヘル・ロウ』の次の住居は『ザ・ボトムズ』だった。ヘル・ロウは藁葺きの、張り出した田舎家の一郭で、それはグリーンヒル・レエン横丁の小川縁に立っていた。」
真面目なの。授業でならったやつです。
ロレンスの作品の書き出しは風景描写が多いと思う。
そのためになかなか読み進むのに根気がいるんですよね…。
⑤旅の仲間/J.R.R.トールキン(瀬田貞二・田中明子訳)
「この本は、主としてホビットのことを語っている。それでこれをお読みになれば、ホビットの特質があらかた納得されようし、またその歴史も多少おわかりになることと思う。」
ファンタジーの名作、一大叙事詩。
これも序盤がホビットの生態と歴史についての羅列で面白くないのは有名ですよね。
たしかにこの書き出しで、あんな物語に発展してくなんて予想できない。
⑥吃逆/森福都
「夢の中でも私の吃逆は止まらなかった。一度、また一度と鳩尾のあたりが波打つたびに、周りの風景が靄を払うように明らかになっていく。」
吃逆とは、中国語でしゃっくりのことだそうです。
それがわかってないと置いてけぼりの書き出し。
中国は宋の時代、やっとのことで科挙に登第した下級官僚が市井を駆け巡り不可思議な事件を解決していくお話。なにがなんだか分からないままに「私」と一人称で始まるのは、先へと進みたくなる技巧ですね。
おっと、まだ候補はあるのにもうこんな時間。
読み終わった本を見出しだけでも見返すのは予想以上に楽しかったかも。
完全に自己満足ですね。失礼しました。
でも時間があるときに第二弾をやりたいです(^皿^)
「閉鎖病棟」箒木蓬生
ずっと気になってたけど読む機会がなかった作品でした。
先日先生の研究室で中古販売になってたのを見つけてようやくトライです。
とある精神科を舞台に、その中で暮らす患者たちの毎日の生活が描かれています。
その病気の性質上、とても穏やかでほとんど同じことの繰り返し。
むしろなるべく波風を立てないよう、平和に終わるよう、細心の注意が払われています。
それでも人間の営みである以上、少しずつ変化せざるを得ない。
婦長や主治医が変わって良い変化があったり、長年入院していた人が退院して残る人たちに動揺が走ったり。
そしてある時、とてもとても大きな事件が起きて、病棟の古株のひとりチュウさんの生活にも大きな変化が起こる…。
現役の精神科医である作者が書いた精神科を舞台にした話ということで、
重たいんだろうなぁと覚悟はしていました。
興味があるけどなかなか手が出なかったのはそのせい。
生々しい精神病院の描写を、見たいような見たくないような…。
でも、そんな心配は無用でした。
もちろんテーマは重たいと思います。
軸となるストーリーが複数あるんですが、どこに焦点を置いても重たい。
けれどそれを気にさせないくらい、文体や語り口、話の進め方がユーモラスで穏やかで、とても面白かったです。
まず感じたのは、精神病ってなんだろうかということです。
「カッコーの巣の上で」とか、精神病院をテーマにした作品では中心的なテーマですね。
異常か正常かなんて、どこで判断するというのか。
正常だとされている、自分でいっている人たちだって、ほんとうにそうなの?
反対に、異常と判断されている人たちにも彼らの中ではすべての筋が通っている。
彼らなりの秩序があって生活している。
こちらはマンガですが、柳原望の「キッズトーク」に出てきたセリフを思い出しました。
「変か変じゃないかなんて、多数決の問題だ。良いか悪いかとは違う」
そういうことなんだろうなと思います。
正常な人たちが平和に暮らしていくためには、悪いけど異常な人たちには治ってもらわないといけない。
できないなら隔離して管理のもとにおかなくては安心できないんです。
でも、理解なく頭からそういう判断をしている登場人物たちをわたしは責められないなとも思いました。
母が躁うつ病で、悪化したときは本当につらい。わたしの中の常識はまったく通じないので、どうにもならない
現実に絶望的な気分になります。ずっと入院していればいいのにと思うこともある。
人はどこかひとつの視点に立つことはできないんだと思います。
医者が主人公なら医者が正しくかっこよく見えるし、弁護士が主人公なら検事が悪役に見える。
同時にあっちの気持ちもこっちの気持も考えようとすると、オーバーワークで心が耐えきれなくなってしまう。
それは残念なことだけど、仕方がないことでもあるでしょう。
自分を擁護するわけではないけれど、せめて別の視点に立った時にも共感できる柔軟な感性を持っていたいと願います。
外科や内科ではなく脳に関わる病気の患者の内面を再現している点で、自閉症の男性を主人公にした一人称のエリザベス・ムーン著「くらやみの速さはどれくらい」と似ていると感じました。
この2作品で興味深く、また希望であるともいえるのが、作者自身は障がいや病気を持っているわけではなくて、両者とも医師や家族として接する中でこれだけの理解を示し、作品として仕上げたという点じゃないかと思います。
ちょっとのすっきりと多大な反省
後悔するならしなきゃいいと思うんだけど、当時は思いもよらず、後で悔やむから後悔なわけでして。
自分の気持ちを制御できず、不満を垂れ流しにしてぶちまけてしまったことを反省しています。
せっかく楽しく遊んでいるんだから、そんな猛烈に怒ることでもないんだし、不満を訴えたりしてわざわざぎすぎすした雰囲気にしてしまうことはないと常々思ってはいるんです。侮辱されたとか、結論次第では死ぬかもとかでなければ、ほんとにそれが最善策だと思う。我慢できると思ってた。
でも、ほんとくだらない理由でむかむかきてしまった。そんで、抑えられなくなってしまうのね。
一瞬の亀裂は仕方ないと思う。
むか、が顔に出ちゃったりとかしても、また何事もなかったかように会話が再開されて、
和やかに進めば、よかったんだけど。そんで向こうもその流れに持ってこうとしてるのがよーく分かるんだ。
でも機嫌が悪いと何もかもむかついてしまうもので、気まずくなりたくないと思いながらも、
そっちのせいでむかついてるのに何でもなかったような顔してるのがまた気に食わなかったりして。
不機嫌を取り繕うことができない。
そんで結局ゆってみたとこでただのいちゃもんにすぎず。
その場で言ってくれればいいのに…とごもっとも。
誰がいい悪いの問題じゃないから、もちろん向こうも悪いと思わない。だから謝らない。
でもわたしはなんか知らんけどすごい虫の居所が悪いから、引くに引けない。
この話題終わらない。
で、結局、自己嫌悪。
忘れてくれって言うしかないよね。
それでもわだかまりが残るわけで…。
不機嫌になんかならなければよかった。
文句なんか言わなきゃよかった。
ちなみに不機嫌になった理由は、
カラオケでわたしが歌ってるとき横で歌うから。でした。
わけわからん。
支えにしてる言葉
その中で「支えにしている言葉を教えて」とゆう呼びかけがあったので、応募はしませんが考えてみました。
友達からの言葉、好きな人の言葉、中学高校の先生の言葉、いくつか浮かびます。思い出してじんとしたりして。どれも優劣つけがたく、とゆうか状況によって支えてくれる言葉がちがいますね。
そして、試験を週末に控えたいま、1番わたしを励ましてくれる言葉を見つけました。
高校の部活顧問の先生、我らがぼりっちが同窓会でゆってくれたひとことです。
「お前は本番に強い」
当時は「練習試合ではからっきしだけど」とゆう前置きがあったので素直に喜べませんでしたが、付け焼き刃の勉強しかできず、広い範囲をカバーしきれず…もうこれを信じるしかありません。いや、そんな奇跡起きるはずないんですけど(T_T)そうでも思わなきゃやってられません。
言霊になれ!!
日記
超私的なぐちだけじゃなくて、建設的な日記とか読んだ本のこととか書きたい。
でもわたしは書くのに時間がかかるほうで、ついほかのことを優先してしまう。
毎日更新してる方たちはほんとにすごいなぁ。
うーん、言い訳とは分かっていながらむずかしい…。
なんてゆうか生活のリズム全体を改めないと無理な気がする;
とりあえず要改善。
先日いろんなリンクをたどってたどりついたブログがとても面白かった。
有名なとこなんだと思うけど。
そういうのって、勝手にリンク貼って紹介したりしたら
やっぱいけないのかな?
不毛だ。
なんでわたしがこんな不安にならなきゃいけないんだ。
すごくストレスを抱えているからといって、まっとうな道を踏み外すことをわたしは絶対に肯定できない。それでも、自分の大好きな人がその道へと踏み出してしまったとしたら、ほっとけないと思うのが人として自然なのでしょうか。
支えてあげたいと思うべきなのでしょうか。
あくまで想像ではあるけど、わたしは無理だと思う。生きる世界がちがうと感じて、もう着いていけないと思ってしまうんじゃないかと思う。
そんなわたしは薄情なの?わたしが冷たいの?おかしいの?
誰と対立してもいいけど、この問題で彼氏さんと意見が異なるのが悲しかった。
ほうっておけないと思うことを否定したり軽蔑したりしない。
仮定としてはわかる。ある意味正論だと思う。
情をもつ人として、そっちのほうがあるべき形なのかもしれない。
何がこわいのかって、冷たい人間だと思われたかもしれないこと。見損なわれてしまったんじゃないかということ。
メールなんかでこんな話するんじゃなかった。
表情見えないし、もう返事もこない。
悲しい。不安。お願いだから、きらいにならないでほしい…。
当の友達はわたしのアドバイスなんか必要としてなかった。
なんでわたしがこんなに不安にならなきゃいけないの…。
流せたらいいのに
それが負い目になってるのは確実。
本当に自信もってがんばってます、勉強ばっかしてます、ってゆえる状況ならなにも考える必要はないんだけど、そうじゃないから…。
だから、仕事の話、社会人の話の中のちょっとした言葉に傷ついたり気に障ったり、一人で勝手に気持ち波立たせてるんだ。
なんにも考えてないだろうに。なにかを考える余裕もないくらい疲れてる時だってあるだろうに。
なんだかなー。流そうよ、そんくらいさ。自分心せまいなー。