「閉鎖病棟」箒木蓬生
ずっと気になってたけど読む機会がなかった作品でした。
先日先生の研究室で中古販売になってたのを見つけてようやくトライです。
とある精神科を舞台に、その中で暮らす患者たちの毎日の生活が描かれています。
その病気の性質上、とても穏やかでほとんど同じことの繰り返し。
むしろなるべく波風を立てないよう、平和に終わるよう、細心の注意が払われています。
それでも人間の営みである以上、少しずつ変化せざるを得ない。
婦長や主治医が変わって良い変化があったり、長年入院していた人が退院して残る人たちに動揺が走ったり。
そしてある時、とてもとても大きな事件が起きて、病棟の古株のひとりチュウさんの生活にも大きな変化が起こる…。
現役の精神科医である作者が書いた精神科を舞台にした話ということで、
重たいんだろうなぁと覚悟はしていました。
興味があるけどなかなか手が出なかったのはそのせい。
生々しい精神病院の描写を、見たいような見たくないような…。
でも、そんな心配は無用でした。
もちろんテーマは重たいと思います。
軸となるストーリーが複数あるんですが、どこに焦点を置いても重たい。
けれどそれを気にさせないくらい、文体や語り口、話の進め方がユーモラスで穏やかで、とても面白かったです。
まず感じたのは、精神病ってなんだろうかということです。
「カッコーの巣の上で」とか、精神病院をテーマにした作品では中心的なテーマですね。
異常か正常かなんて、どこで判断するというのか。
正常だとされている、自分でいっている人たちだって、ほんとうにそうなの?
反対に、異常と判断されている人たちにも彼らの中ではすべての筋が通っている。
彼らなりの秩序があって生活している。
こちらはマンガですが、柳原望の「キッズトーク」に出てきたセリフを思い出しました。
「変か変じゃないかなんて、多数決の問題だ。良いか悪いかとは違う」
そういうことなんだろうなと思います。
正常な人たちが平和に暮らしていくためには、悪いけど異常な人たちには治ってもらわないといけない。
できないなら隔離して管理のもとにおかなくては安心できないんです。
でも、理解なく頭からそういう判断をしている登場人物たちをわたしは責められないなとも思いました。
母が躁うつ病で、悪化したときは本当につらい。わたしの中の常識はまったく通じないので、どうにもならない
現実に絶望的な気分になります。ずっと入院していればいいのにと思うこともある。
人はどこかひとつの視点に立つことはできないんだと思います。
医者が主人公なら医者が正しくかっこよく見えるし、弁護士が主人公なら検事が悪役に見える。
同時にあっちの気持ちもこっちの気持も考えようとすると、オーバーワークで心が耐えきれなくなってしまう。
それは残念なことだけど、仕方がないことでもあるでしょう。
自分を擁護するわけではないけれど、せめて別の視点に立った時にも共感できる柔軟な感性を持っていたいと願います。
外科や内科ではなく脳に関わる病気の患者の内面を再現している点で、自閉症の男性を主人公にした一人称のエリザベス・ムーン著「くらやみの速さはどれくらい」と似ていると感じました。
この2作品で興味深く、また希望であるともいえるのが、作者自身は障がいや病気を持っているわけではなくて、両者とも医師や家族として接する中でこれだけの理解を示し、作品として仕上げたという点じゃないかと思います。