世にも美しい背中 | マツゴト


美味しさのあまり、
最後の一滴も残したくない


この味を言葉にするなんて、
愚か者のする事なんだと思う


残したくないぐらい、美味しいもんは美味しいんだ
普通の美味しいと訳違う

今日のblogは、
そのぐらいの愚かな事を書こうとしている気がしている





時に人に感動を伝えたいと思う
言葉を超越しているからこそ「感動」と言うのに

わかっていながら
なぜ愚かな事をしたくなるのかわからない






暖かい夜
雨が降りだす前に、コンサートホールに着いた

目的は
東京国際音楽コンクール の記念演奏会
今回は女性3名が指揮者のファイナリストとなった


 

素敵だよね~女性の指揮者


いい写真だな~






ここでは、私のまったく経験したことのない「音楽」が待っていた





コンサートに行けば必ず
当たり前だけど「曲」を聴くことができる
しかし、今回の3人の指揮から導きだされるものは「曲」ではなく
「音楽」だった


失礼ながら、(*私個人の感想です)
日本のオーケストラコンサートで
「音楽」を聴くという体験はめったにあるものではない

いつも「曲」は聴けるのだけど・・・









「背中で語る」
なんて聞きはするけど・・・

実際にそんなことが
目の前で起こったら


私は、言葉なんかを超越した
指揮者の
彼女たちの語る背中に魅了された

涙が出そうになるのをこらえるのに必死だった









彼女たちが指揮棒を振るたび
オーケストラは、スタジアムの観客のウエーブのように波打ってみえた
指揮者は、そのうねる波の上にいた
そのまま、次は氷の上を優雅に滑っていると思ったら、彼女たちは空を飛んだ



・・・・・・と、私にはこういう風にしか見えなかった







普通コンサートってね、曲聴いてるんだからさー、
目つぶって味わってる人とかいたり(寝てるかね)
それぞれの楽器奏者見たり、あと曲自体を楽しんでるわけ







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今回ばかりは
私は彼女たちの背中から発せられるものを見逃すまいと、瞬きするのも惜しかった
呼吸をするのでさえ忘れそうだった




この仕事、彼女たちの「命」なんだな
彼女たちの「背中」は音楽だけでなく、ものすごくたくさんの事を語りかけてきた
私の背中は命を語るには到底遠いということをまざまざと見せつけられた







私にもっとボキャブラリーがあったらな
伝えられるかもしれないんだけどな、この感動


いや、無理かな





言葉で伝えられるなら、指揮者はいらないものね
指揮者はいつでも言葉を超えた存在


やっぱり愚かな記事だったな