1.「これからの行政改革」についての質疑

2012年度の実施結果報告が6月議会でありました。これを受けての「行政改革」についての質疑の動画をアップしました。お時間と興味がある方はご覧になってください!(動画配信用のブログにいきます→http://blogs.yahoo.co.jp/nakanishikazutomo/63770027.html


2.議会の追加議決事項 ③

(1)これまでの話

昨日は議会改革検討特別委員会(私もメンバー)がありました。メインテーマは議会の追加議決事項です。(これまでの話については、http://ameblo.jp/genjyoudaha/day-20130602.html http://ameblo.jp/genjyoudaha/entry-11545071705.html をご覧頂きたいと思います。)


少し間があいたので、まとめておくと議会の追加議決事項としては、基本構想及び基本計画、そして中期財政計画や定員適正化計画など「人・モノ・金」に関する計画を議会の追加議決事項とするのはよいのではないかと、私は、考えています。(委員会としても、基本構想と基本計画を追加議決事項とすることについては概ね一致でしょうか!?)


(2)広域行政については?

①広域の協定

議会改革委員会としては、その他「広域行政の協定」などを追加議決事項にするべきだという有力な意見も挙がりました。3月議会における「一般ごみの焼却を広域で行っていくこと」が(なぜか!?)行政から議決を求められたことが各委員、オブザーバーのみなさんの記憶に新しいのだと思います。かくいう私も、ゴミ焼却炉問題を念頭におけば、議会が議決事項とすることも悪くないようにも思えます。


②疑問

ただ、(ⅰ)広域(他自治体と共同)で行うもの全てを議会の議決事項とするのか?(広域の協定は姉妹提携から災害時の協定、その他細かい協定も多い)


(ⅱ)どの段階での協定を議決事項とするのか?(「協定」という名称があるかどうかはさておき、広域の問題とは他の自治体との交渉の積み上げである。また、基本的な協定に限っても議会の議決は事前か事後か?)


(ⅲ)広域行政における協定については他の自治体においては議決事項としていない場合が多いと思われます。その均衡を欠かないか?(協定を締結しようとした際、高砂市だけは議会の議決を要する、あるいは締結した後に議会がひっくり返す可能性がある。議会が事後的に否決、修正可決した場合はどうなるのか?)


③クイズ(以下、少しだけマニアックな話なので読み飛ばしてください)

前回の「議会の追加議決」についてのブログは、「ところで『執行権』って何だろう・・・!?」で締めくくりました。さらに、少しクイズを出してみてもいいでしょうか。


(ア)大日本帝国憲法13条「条約ヲ締結ス」の権限は、三権分立上のどこの権限に位置づけられていたのか?


(イ)日本国憲法は「条約の締結」について国会の関与を「承認」(73条3号、なお61条)としたのはなぜか?

(ウ)行政裁量とは別の次元で語られる「統治行為論」とは行政とはいかなる関係にあるのか?


(エ)内閣総理大臣や首長の「政治責任」とは何か?


法律学を学んだ人には難問でも、政治学や行政学を学んだものにとっては難しくない人もいると思われます。行政学の教科書から引用すると「しだいに君主権(立法権・統帥権)と統治権(司法権・行政権)とが分化していった」(西尾勝「行政学の基礎概念」P13)。そして、「かくも恐るべきもの」司法権が独立し裁判所が担い、立法権は議会が奪った。

行政法の現在の通説は、行政控除説をとる。そして、「法律による行政の原理」は控除の結果残った行政(すなわち統治権の一部)をも議会の統制下においた。しかし、君主権の一部(以下では思うところあり、「統帥権」ではなく「執政権」とする。簡単に言うと君主権は立法権と統帥権に限定されないと思うからである。)は、国家元首の手に残った。それが、(ア)の答えになると思う。つまり、「三権」ではないもう一つの権力があるのだと考えられる。


もっとも、戦後日本は戦争を放棄した(憲法9条)ことにより、この執政権というカテゴリーごと消し去ったかにも見える。大日本帝国憲法13条「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」の前半は戦争放棄の帰結として、後半は行政作用の一類型?として内閣に帰属させることにより。ただ、純粋な行政権(administrative power)と執政権(executive power)とは異なることから、議会の関与を「承認」とした。これが(イ)の答えになると思う。


これにより、三権分立は理論的に成功(少なくとも法律学を学ぶ者に分りやすいくらいに純化された)ように思える。しかし、執政権は生きているのではなかろうか。それゆえ、憲法学者からは極めて受けの悪い判決ではあるが最高裁は「統治行為論」に言及した。「法律による行政の原理」では、行政はすべて(ただし「裁量」など内在的制約はある)司法審査になじむはずである。最高裁が司法審査になじまないとする「統治行為論」とは法律に服しない執政権があることを前提としているとしか考えられない。((ウ)の答え)


加えて、行政作用が「法律による行政の原理」という言葉であらわされるように、ルーティン的なものならば内閣総理大臣や首長の政治責任などという問題は発生しないはずである。(法律の執行を誤った場合も考えうるが、そういう意味では「政治責任」という言葉は使われていないはずだ。)


④小括

このように、行政権(administrative power)と執政権(executive power)は異なり、かつ執政権というカテゴリーは、少なくとも条約の締結、外交関係の処理などの対外的関係を行う上では生きている。憲法上は、広義の行政権という語には、狭義の行政権と執政権が併存しているのだと解釈し得る。


そして、首長の執行権という言葉にも、この狭義の行政権と国家の権限に抵触しない範囲での執行権の2つがあるのだと理解するのが素直であるように思われる。

余談ながら、大きな方向としては、首相公選制は首相による執政権の強化を、地方分権は狭義の行政権を地方に分配することを意図しているように思える。


⑤執政権と民主的統制

話は横道に大きく逸れた感もなくはない。話を広域行政についての議会の関与に戻す。広域行政の協定も外交のように、自治体と自治体の交渉による創造作用であり、首長の執政権に属するものと考え得る。この首長の執政権に民主的統制、少なくとも議会を関与せしむるというのは、感覚的に言えば素直なものであるとは思う。


しかしながら、行政権ほど簡単にいかないのが執政権であることは間違いない。国における「条約締結」と同様に、広域行政の協定の締結は議会の「承認」で良いと簡単に論じることはできないと思う。国においては議院内閣制が採用されているのに対し、首長の選出基盤は議会ではないことがその理由である。(このことは、首長と連帯して「政治責任」を負う議会の議決も一考を要するのではなかろうか)


地方自治体において、首長と議会とのどちらが真に民意を反映しているのかの議論はさておくとする。(キリスト教における教皇主義と公会議主義の対立のようなもの)もっとも、広域行政における協定などに対する議会の関与(民主的統制のあり方そのもの)については、先送りして、これから熟議を尽くすべきではなかろうか。自分の頭の中がまだ整理されてはいないが、現時点では、そう思います。