議会事務局シンポジウムin大阪に出席してきました。「事務局シンポ」ですが、議員の出席者も非常に多かったのに驚かされました。兵庫県下(私の知る限り)では、県議会議員(西宮市区選出)、加東市議、芦屋市議(×2)、相生市議、加古川市議、高砂市義(私・中西)。その他、大阪、奈良や滋賀の関西はもちろん、遠くは東京の区議会議員も。


基調講演は片山善博前総務大臣(現・慶応大学教授)でした。少し、片山前大臣の講演内容の一部を(青字で)要約し、私のコメントを交えて紹介しておきたいと思います。片山前大臣の言葉の一つ一つに拍手を送る一方、胸を締め付けられるというか、自分の非力に忸怩たる思いで重苦しいものを感じたのが正直なところです。


1.議会はどうあるべきかを考えるべきだ。それがないから、何をするべきがブレるのだ。議会の基本姿勢に比べたら、会期や反問権、賛否の公表などは枝葉の話である。(行政が首長の出勤日数や幹部会における部長の発言などなどを話し合いに終始していたら滑稽であろう。)


地方議員の言うことは抽象論が多いと書いた自戒を込めて書いた「政治家のいうことは・・・(http://ameblo.jp/genjyoudaha/entry-11269011071.html )」でも述べましたが、議会改革にも必要なのは抽象論と具体論、左脳と右脳を行き来することだと思います。田中康夫衆議院議員もかつて長野県知事就任当初、「どうあるかを考えなければ、何をするべきかは出てこない」と述べていました。


やっぱり、この議論が必要ではないでしょうか?

なお、ネオ・コーポラティズムに対する議会の態度につき(http://ameblo.jp/genjyoudaha/day-20120606.html )。


ところが、目の前にある課題解決ばかり目を向け、この「議会はどうあるか」という議論を忘れていたり、他の事例や制度を横目に実際は課題にぶつかっていないのに制度だけを輸入しようとしているきらいはないでしょうか・・・?(※)一般論ですが。


※たとえば、条例をつくろうともしない議員が事務局の調査部門の強化を提案してみたり、原稿を読み上げているだけの議員が一問一答制度の導入を発言すること自体がナンセンス。これらは現行制度の中でも、ある程度可能であろう。


なお、事務局強化のため人員を補充できないなら近隣市との広域で考えるのも方法である思いながら聞いていたら、休憩中に話したI市の職員O氏も同趣旨の発言。理由に近隣市の課題は共通することが多いことを加える(A市の課題は近隣のB市にも共通するから課題解決に向けて条例化をするなら職員も共通の方がよいということ)ちなみに、O氏は、議員と事務局職員は主従の関係ではなく対等のパートナーである旨を報告会で言い放っていました。うむ・・・センセーショナル!


2.行政が手をつけてないものについて議会は条例をもっと作るべきだ。自治体がつくった条例は議会に関するものばかりではないか。私は知事時代にある政策提案した議員に「そちら(議会)で条例をつくればどうか?」と言い返したことがある。議会で問題を発見し、その問題解決のために条例をつくるべきだ。


「論題の設定(http://ameblo.jp/genjyoudaha/entry-11221274768.html )」でも触れましたが、行政に対し要望を繰り返すだけでなく、議会で論題を設定し、その論題について議論する(議員間討議)必要があると考えます。その論題の設定には条例提案が主な手段となると思います。


しかし、高砂市でも条例は行政が提案するべきという思い込みは強いように思われます。「六月議会に向けて(http://ameblo.jp/genjyoudaha/entry-11275680173.html )」結果、行政に対する質問で終わってしまっています(行政と議員間の討議!?)。


3.開かれた議会を目指すべきだ。それなのに、議場以外のところで決まってしまい、議員が議場にあらわれたときは物事は決まってしまっている。それを議会に引きずり出さず「何が開かれた議会」か?


「議会改革読本(http://ameblo.jp/genjyoudaha/entry-11206483632.html )」で「議会改革とは、「奥の院」での話し合いをいかに議会に引きずりだすか(カール・シュミットは議会の本質を討論と公開に求める)という視点をなくすことはできない」と書いたところです。



特に、これからの議論は、高度経済成長下で行われた「富の分配政治」ではなく、「負担の分配」「削減の分配」が多くなると考えられます。市民に苦痛(負担・削減の話)を伴うことが、「奥の院」で決められていいはずがありません。


4.公聴会・参考人制度を活用するべきだ。活用すればバランスを欠いていることに気づくであろう。


確かに、その通りです。雑に言えば、戦後日本の目標は「豊かになりたい」の一点だけであり、議会の議論(フォーマルの議論)と市民社会の議論(インフォーマルの議論)とは大きく齟齬をきたすことはありませんでした。


しかし、この目標を、一応、達し成熟社会に入るとともに価値の多様化を迎えた現代、議会レベルの議論と市民社会の議論にズレが生じてきているのが正直なところ(ゆえに、議会不要論が出てくる)。市民社会の議論をフォーマルな議論(議員個人にではなく議会へ)にインプットする必要があります。公聴会・参考人制度は活用するべきだと思われます。


と書いている私も一昨年の秋(※)以来、提案しておらず反省が必要です。


※一昨年秋には、総合計画検討委員会で公聴会を提案したが、議会を軽視するものとして不採択(じゃあ何で地方自治法に当該制度が書いているんだよ)。代わりに参考人招致を提案し、入浜権運動の高崎先生を招請しました。しかし、それ以降は提案できてません。


5.議員が条例をつくるためには図書館を活用するべきだ。その為に、司書を用意するべきだ。その方が視察に管外視察に行くより時間も金も節約できる。(議員はちゃんと勉強すべき。事務局や行政職員に原稿をかかしている場合ではない)


これも、またその通り。

でも、議会図書館は不要とばかりに「使っている人いるの?」という質問が議会(昨年の決算委員会)で出るレベルでは困ったもの。



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(またもや勝手に使ってごめんなさい)