達成すべき使命を持って仕事に取り組んでいるのだが、そのために必要な変革を起こすには、まずそのビジネスに関連する人々(自社の従業員だったり、上司だったり、取引先だったり)に理解してもらい、そして、その人たち自身に変わってもらわなければならない。


しかしながら、いくら働きかけても、熱弁をふるっても、シンパが増えるどころか、どんどん周囲の気持ちがはなれていって、必要な変革を起こせない。


そんな状況に陥るリーダーって、ものすごく多いのではないかと思います。


そんな状況のリーダーには、次の言葉が役立つかもしれません。



  「 随処に主となれば、立所皆真なり 」



昨日の僕のブログの言葉と、どこかニュアンスが似ているかもしれませんが、周囲が動かない、周りの人を導くことができない、そういう状況に陥ったときに、多くのケースで、そのリーダーは心のどこかで、


  「あいつら本当理解力がないよな。」


とか、


  「なんで、あいつらああなんだろう」


とか、考えてたりする。


つまり、周囲が動かないのは、外部のせいだと考えている。

これだと、100年たっても、変革は望むべくもないわけです。



「 随処に主となれば、立処皆真なり 」



の言葉の意味は、


「 随処に=どんな状況でも 」、「 主となれば=(他人のせいにせず)主体的に考えれば」、「 立処皆真なり=どのような環境も自らの真実の力によって融通無碍である」


という意味なのですが、つまり


「 原因を自分に求めて、主体的に自らが変われば、周囲も一変する 」


ということなんですね。

これは、ものすごくパワーのある言葉だと思っていて、僕はいつもこれを心がけるようにしています。



この言葉にまつわる有名なエピソードがありますのでいかに簡単に紹介します。


住友グループの中興の祖、伊庭貞剛(だったかな?)が、若いときに、労働争議を解決せよと社命を受けて、単身、山に入るものの、何人も事故で死人を出しているような現場で、ベテランの労働者を相手に、大学出たての若造では全く相手にされない。


それで、ある人からこれを読めと仏教書を渡されて、毎日、わらにもすがる気持ちで、読むのだが、難解で、何日も徒に日が過ぎていく。


ある日、「随処に主となれば立処皆真なり」 の一文を見つけて、ハタと得心するものがあり、それ以後、またたくまに労働争議が解決したという話が残っています。



春日原森