今でこそ世界が注目するインディペンデント系時計師ですが、
”独立”するまでには大変な努力がありました。
英国時計学校を優秀な成績で卒業した彼は
自分自身で時計を作ることを心に決め、
1992年にはじめてオリジナルの懐中時計を製作します。。。
イギリスは大航海時代、フランスとともに時計製造が盛んな国の
ひとつだったのですが、それは、
時計が”船”をナビゲートするのに欠かせない道具であり、
わずかな誤差が船乗りたちの生死にかかわる重要性をもっていた
ため、当時の王室が時計製造を奨励していたからです。
また、懐中時計は腕時計に比べて部品が大きく、
複雑な機構を載せやすいので、若い時計師にとって
実力を試すよい出発点でもありました。
さて、ロジャー・スミスの時計人生(と言ってもまだ始まったばかりですが)に
おいて、「George Daniels」(ジョージ・ダニエルズ)という師の存在は
語られるべきことのひとつです。
ジョージ・ダニエルズは現代で最も尊敬に値する時計師の一人で、
同じくイギリス人。
”ブレゲ”研究、修復の第一人者でもあります。
私はこのジョージ・ダニエルズが製作した懐中時計を見た事が
あるのですが、はっきり言って迫力が違います。
豪勢な装飾がされているわけでもないのに、繊細、かつ力強い。
もう、美術品レベルと言っても過言ではないでしょう。
実際ロンドンにある時計博物館には、彼の時計が展示されています。
ロジャー・スミスは、知識と経験豊かなこの天才時計師に自分が作った
時計を見せ、そして、率直な意見を求めました。
ジョージ・ダニエルズは若い時計師の時計をほめる一方で、
「too hand made」、
すなわち、作品としては充分で雰囲気は良いけれども、
手作りだからこその”アラ”があると指摘しました。
ロジャー・スミスは全ての面においての改良と、
さらなる仕上げの向上を求め、
1997年まで、つまり丸5年間、研究を重ねました。
この年、2つ目の懐中時計「No.2」が完成。

(No.2:ツインバレル、パーペチュアルカレンダー、2本アーム・スチール製キャリッジの1分間トゥールビヨン、受け・地板はイギリス懐中時計伝統の金メッキ仕上げ、鍵巻き)
脱進機には、時計史に名を残す「Earnshaw」(アーンショウ)という
これまたイギリス人が生み出した、
アーンショウタイプ・デテント脱進機が使われていました。
この時計を持ち、再びジョージ・ダニエルズとの面会を果たす
ロジャー・スミス。。。
本気です。
師の鋭い観察のもと、チェックが始まりました。
「誰が、君のためにこのガンギ車を作ったんだい?」
「私です。」
、、、、、。
「では、このデテント脱進機は?」
「私です。」
「Hmmmmm」、、、、、。
ついに、
師は彼の時計を認め、ロジャー・スミスは真の「Created」(製作)に
達したわけです。
お墨付きとともに。。。
半年後、ロジャー・スミスは一本の電話を受けました。
それは、師であるジョージ・ダニエルズのアシスタント、つまり、
彼のアトリエで働けないかというオファーでした。
そのときジョージ・ダニエルズは、自身が1977年に発表したシステム、
「コーアクシャル脱進機」を搭載した、新しい50本の時計を、
「オメガ」から依頼されており、彼に手伝ってもらいたかったというわけです。
そして、ロジャー・スミスは師のアトリエで働いた3年後、
とうとう独立を決め、インディペンデント時計師として活躍することと
なりました。
「わたしの目標は”特別”にデザインされた時計を手作りすること。
そして、極限まで伝統的スタンダードにこだわって作りあげること。」
(ロジャー・スミス)
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