時計師について、その2 | サムライ時計師スイスで修行してきました!

サムライ時計師スイスで修行してきました!

スイスといえば自然、銀行、そして時計。
いやいやそれだけではありません。
ハイジの故郷は、実はこんな国なんです。
(ヨーロッパ 海外 海外生活)
そして帰国しました。

前回の続きです。

時計師が本当の意味で時計師であったのは、17~19世紀にかけてである。
もちろん異論・反論もあると思うし、現代の時計師を否定しているわけでもない。
ただ一つ言える事は、その時代の時計師たちのおかげで今があるという事実だ。

17~19世紀、世界中で時計を必要としていたのは王侯、貴族、あるいは
富裕層といった、限られた一握りの人たちであった。
一般市民は相変わらず教会の鐘の音で時を知り、天気や気候、
太陽や月の出入りで生活のリズムをつくっていた。

では、どうして権力者たちは時計を欲しがったのか?

それは、時計が当時の最先端技術を駆使した芸術品であり、
見た目に美しい宝飾品であったこと。
そして時を刻む実用品であり、さまざまな任務や仕事の管理などのために
便利であったこと。
いずれにしても最高のステータスシンボルであったわけである。

私的な推測ではあるが、
懐中時計の登場によって時計が常に携帯できるようになり、
人々に見せびらかすことが用意になったことも小さな理由ではなかったか。
いつの時代も珍しいものを見せびらかすのが好きな人っていますからね(^^)

さらに、権力者たちの内面にある独占欲・支配欲は、時を支配すること、
強いては世界を宇宙を支配するという究極にたどりつき、
それを具現化したものが実は時計だったのである*
時間をコントロールできることは世界をコントロールすることに等しいと
考えていたわけだ。

権力者たちは腕のいい時計師を集めては、新しい時計を作らせ、
また専属の時計師を常に従え、修理を担当させた。
これは、イタリア・ルネッサンス期に貴族が芸術家を保護していたことと似ている。

いっぽうで時計師は、繊細な技術をもつ職人であると同時に、広範囲にわたる教養を
もった人たちであった。
というのも、制作の注文をうけると、素材を集め、デザインをおこし、
精密な計算をして設計図面をひき、
ひとつひとつ部品をつくって組み立てていったからである。
特に初期の時計師たちはほとんどの行程を自らでこなしていったのだった。

時計師は、時計制作技術はもちろん、化学・物理・素材学・数学・美術、
自然史、さらには天文学の知識なども要求された。
宮廷お抱えクラスになると、政治や歴史、宗教学をもカバーする必要があったと思われる。
その証拠に、この時代の懐中時計には宗教や歴史をモチーフにしたものが数多くある。

具体的な人物やもっと深く、細かくつっこんだ時計の歴史はまた今度書いてみたいと思います。
文章長~くなっちゃうんですこしづつ。

来週から仕事が始まります。
だんだん緊張感がでてきたようで。。。
それではまた。