武田砂鉄さんの『なんかいやな感じ』という著書、
いつものようにほとんど読んでないなかで書くわけですが…💦、
たまたま目に飛び込んできた目次のなかに
「人権を消そうとする」という小文がありましてね、
”考えようとするのを停止させる言葉がある”という書き出しで始まります。
それは自分(砂鉄さん)が言われたわけではないけれど、
著者の友人の中村文則さんが大学時代に友人から言われた一言だそうで、それが
「お前は人権の臭いがする」だったそうなんです…。
(※わっ、刺激的ですね )
どういうシーンでその言葉が発せられたかというと、
その友人が第二次世界大戦の日本を美化するような発言をしたので、
中村氏が軍と財閥の癒着についてなどを語りながら反論すると、
件の一言を返されたそうなんです。
その友人は続けて「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴らの人権をなぜ国が守らなければならない?」
で、自分が言われたわけでもないのに繰り返し思い出されるこのエピソード。
砂鉄さんは”この感じ、日本でずっとすくすく育ち続けているやつだ。”
と感じてしまうのです。
(※”すくすく育つ”という言葉が悪方面にも使われることも、当然ある…、あ、これは後述)
砂鉄さんは続けて、
人権とは、人間が人間らしく生きられる権利のこと。「基本的人権の尊重」との文言の通り、人権はいつだって基本的に備わっているもの。それを「臭い」で判別するという差別的な見識、そしてやたら反対する人には同じ権利を与えるべきではないという姿勢は珍しいものではなくなった、と。
その具体例として、「津久井やまゆり園」事件で山東昭子議員の「人権という美名の下に犯罪が横行している」発言。
「自業自得の人工透析患者なんて、全員実質負担させよ!無理だと泣くならそのまま殺せ」というブログ炎上事件の長谷川豊さん(元フジテレビアナウンサー)。
で、砂鉄さんは「なんかいやな感じ」を以下のように締めくくるのです。
”人権とは何か、なぜ守られなければならないのか”という命題が立ち上がってしまうこと自体が異様なのに、前提がいつの間にか虫食い状態になり、脆弱になっていく”。
”さらにもっと剥ぎ取ろうとする人たちがいる。影響力のあるそうした人たちの斬新なトピックスに、一定数が惹かれてしまう社会になってしまった”
”ただ自分の人権を守っているだけでも、それを疑われたり、剥がそうとしたりする人たちがどこからともなく現れ、無臭で誰にでも備わっている人権を、不快な臭いとして意図的に嗅ぎ取ろうとしてくる。
おかしいのはこちら側ではなく、あちら側の嗅覚である。決してここを譲ってはいけない”。
*
ほんと、いやな感じですよね。
「人権」って、産まれたときから皮膚のように体にまとっているもの。
剥がそうとすると血ィ出ます。そう思ったほうがいい。
でもでも、それが危うくなるというのは、
私たちの社会で、まぁ言ってみればムラ社会的な世間知ですが、
「長いものには巻かれろ」「親方日の丸」「寄らば大樹」とか「言わぬが花」もそうかも、深く共有されていて、そこに「個」を際立たせる「人権」って、言葉自体がうざいのかも。
いや、そんなこと言っている場合じゃないけど。
で、表題の「すくすく育つ」の話です。
私ね、話は飛ぶのですが、人間も生きものである限り、人間界で起きていることは他の動植物にも見られることではないかとか思っちゃうのです。(これはクセ)
で、人権を剥ぎ取ろうとする空気がすくすくと育つって、、、(すくすくという副詞の使われ方がおかしいというのは置いとく)、その時ふと畑の茄子の接ぎ木苗のことを思い出したのです。
二年前、うちの苗ではなくよそさんの区画の茄子でしたが、ほかに比べてその苗だけすくすくと大きくなりましてね。
で、私は経過を知らなくて「何を育てているんかな~」くらいに思っていたんですよ。
みごとに茂ったそれは、大きめの葉の真ん中(葉脈)にトゲが出ている荒々しい植物で、
もちろん実などつきませんでした。
あとで聞いたところによると、これは接ぎ木の台木の芽が出てきて、すくすく育って、
つがれた茄子のほうは駆逐されたってことなんだそう…。
つまり、
注意深く観察して、守り育てていかなければいけないものなんですよ。
茄子の接ぎ木苗も人権感覚も。