その人は私よりかなり年がお若い人でした。

だから軽い調子で「愛読書っていうか、好きな本は?」と尋ねて、

『源氏物語』と即座に返ってきたときは、

意外過ぎて、訊かなきゃ良かったと思いました。

『ちはやふる』なんて流行ったのはもっとずっと後のことです。

 

のちのち、なぜ源氏なのかは薄々わかりました。

彼女、高校の国語教師をされてたのです。

そして趣味で短歌も詠まれていました。

 

でも普段はそんな教養をひけらかすこともなく、

真面目だけどちょっと変なところもある愛されキャラの人でした。

あるとき私が「夢っていつも悪夢なんだよね」と話していると、

(実際、私はその頃の夢は飛行機に乗り遅れそうで空港を走っているとか、

誰かに追いかけられているとかそんな夢ばかりでした)

彼女が怪訝そうな顔で、自分は楽しい夢しか見たことがないというのです。

わぁ、それはどんな夢?って訊くと、

「シュークリームやアイスクリームに囲まれて

エヘヘ、エヘヘと食べている夢とか…」というおこたえ。

それで、やっぱりちょっと引いてしまったのを憶えています。

 

まだ小さかったお子さんの話もよくされていました。

あるとき昼寝から覚めて表に出てみたら、

近所の人が何ともいえない顔で自分を見ると。

で、帰って鏡をみてみたら顔に大胆な化粧が施されていたと…。

爆睡していたんでしょうね。

どちらも彼女らしいエピソードです。

 

そんな彼女ですが、

18歳になったばかりのお子さんを、ある日急な病で失い、

その悲しみから立ち直ろうとがんばっておられましたが、

その数年後、患われてお子さんの元に旅立ってしまいました。

 

あの頃の私は、ただでさえ雑な人間なのに、

輪をかけて雑に生きていました。

彼女の『源氏物語』を今これほど思い出すくらいなら、

もっともっと彼女と話をしておけばよかったと思うのです。

 

会話が足りてなかった。

多分、今もそうです。