いわゆる「読書」というもので、
私が一番最初だなと思える本は、クリスマスに買ってもらった
『ギリシャ神話』でした。小学校の2,3年くらいだったかな。
異世界の物語にひきこまれました。
それから『少年少女世界文学全集』というシリーズを
親が注文してくれました。
当時通学路にタバコ屋さんがありましてね。
タバコだけでなく、日用品のこまごまとしたものも売っていて、
ボタンや針や糸、ファスナーなども置いてありました。
母が洋裁をしていたので、たとえばファスナーなどを母から頼まれると、
布切れを持って行って「これに合うファスナーを〇〇センチ」という具合にお願いするのです。そうすると店主のおじいさんが(当時からおじいさんで、私が大きくなってもずっとおじいさんでした?)、「ほいよ!」といって、「この布なら、これじゃな」とか言いながら、物差しを出してきて布地に合うファスナーを切り取ってくれました。
そのお店が本のとりつぎもしていたのです。
本が届く日が近づくと、待ちきれなくて毎日のようにそのお店に寄っていました。
「まだ来とらんよ」と言われてしおしおと帰る・・・。
次の日に寄ると「おお、来とる、来とる!」と赤茶の頑丈な紙に包まれた梱包を解いてくれるのです。すぐにしっかりとしたケースに入った文学全集が現れます。わくわくがとまりません。そしておじいさんは、また「ほいよ!」と渡してくれるのです。お金はあとで母が持っていったのだと思います。
持って帰ったのが私だからきょうだいの中で一番先に読む権利があるのです。夢中で読んでいました。もう夕ご飯もそこそこに・・・。
・・・・・*
こんなことを回想するのも、この『私が本からもらったもの』に
少し目を通したからかもしれません。
サブタイトルは”翻訳者の読書論”となっており、
光文社古典新訳文庫で新訳の仕事をされた方のうち
8人の方の個性的な読書論が語られています。
インタビュー形式ですからとても読みやすいです。
まだ読み始めたばかりなのですが
(昨日まではコーヒー豆のことばかりでした💦)
たまたま開いたページが英米文学翻訳家の木村政則さん。
このかたのお話だけで、私は上記の回想を初めてしまったというわけです。
すごい威力でしょ?
で、木村さんですが、中学生のときから
将来は映画の字幕翻訳家になりたいと思っていたそうです。
そのために大学の英文科に進んだと目的がはっきりしています。
当時の映画はアメリカ映画が主流で、もうそればかりでしたが、
ある日英文学の授業で、『眺めのいい部屋』を観ることになりました。
木村さんはこのブリティッシュ・イングリッシュのリズムに驚愕します。
すごく性に合っていたのです。
それから読み始めたイギリス文学もただただ楽しかった。
大学で良い先生と出合ったことに触発され、自分も文芸翻訳家に
なろうと進路を変更します。
こんなエピソードがあります。
大学生の時オースティンの『自負と偏見』を電車内で読んでいたのです。
するとおかしくて笑いが止まらなくなった。
これはダメだ、もう死ぬと思って本を閉じて大学に行き、
だれもいない教室を探して、そこで続きを読んでゲラゲラ笑った。
この話を大学院に行ってから院の先輩に話したら、
オースティンのなにがおもしろいのかさっぱり分からない
といわれてショックを受けます。
「オースティンのおもしろさがまったくわからない人が
イギリス文学の研究室で研究をするということにも驚いた。
が、それには耐えた」と書かれています。
この”本を読んで笑いが止まらなくなった”ということ。
私にもかつてありました。
泣きながら読んだことも。
どなたも経験されているんではないかしら。
幸せなことですよね。
ああ、あのころ、本にのめりこんだあのころ、
幸せだったなと思います。
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お付き合いいただき
ありがとうございました
この本は
調達も